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六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

森保一五輪監督はOA枠に誰を起用するつもりなのだろうか

公開日: 更新日:

 2021年夏に延期となった東京五輪2020の男子サッカーの出場資格についてFIFA(国際サッカー連盟)の作業部会は、4月3日に「1997年7月1日以降生まれで年齢制限のないOA(オーバーエイジ)枠は3人まで認める」という方針をまとめた。

 五輪の男子サッカーは1982年のバルセロナ五輪から<23歳以下>のルールが採用された。

 そして4年後の1986年のアトランタ五輪からは、3人までのOA枠もルール化された。

 2021年に24歳になるU-23(23歳以下)日本代表の主なメンバーはGK小島亨介、DF板倉滉、DF町田浩樹、MF中山雄太、MF三好康児、MF相馬勇紀、FW小川航基、FW前田大然ら13人が該当する。

 中でも板倉と中山は東京五輪世代の中心選手だけに、森保一監督にとっても年齢引き上げは朗報だったはずだ。

 とはいえ、6月のW杯アジア2次予選の2試合と7月17日に予定されていたUー23日本代表の親善試合は延期が決定しており、現時点で代表チームがいつ活動を再開できるのか、見通しはまったく立っていない。

 OA枠について森保監督は、Uー23代表の監督就任時に「なるべく早いタイミングで決めたい」と話していた。

 本来なら3月下旬のインターナショナル・マッチデーに海外でプレーしている23歳以下選手を招集し、チームに融合させるプランが濃厚だった。

 もし試合が開催されていたら……。恐らく森保監督は、1トップにドイツの大迫勇也、トップ下にイングランドの南野拓実、ボランチにスペインの柴崎岳を起用するプランを持っていたのではないか、と推測する。 

 W杯2次予選の2試合を含めた4試合が延期になってしまったのは、返す返すも残念である。

■過去の五輪監督に見るOA枠抜擢と配慮

 OA枠が初めて採用された1996年アトランタ五輪に、日本は28年ぶりの出場を果たした。

 しかし西野朗監督はOA枠を使わず、予選を戦ったメンバーで本大会に臨んだ。というのも当時の日本代表は加茂周監督と岡田武史コーチ、Uー23代表は西野監督、山本昌邦コーチと“別々の船頭が舵を取っていた”からだった。

 残念ながらアトランタでは、得失点差で準々決勝に進めなかったが、ブラジルとハンガリーから奪った2勝は高く評価していいだろう。

 グループリーグで唯一の黒星の相手ナイジェリアが金メダルを獲得。ブラジルも銅メダルに輝いている。重ねて戦いぶりを称賛したいと思う。

 続く2000年のシドニー五輪では、トルシエ監督が日本代表とU-23代表、さらにはU-20代表の監督も兼務していたのでOA枠の選考もスムーズに進んだ。24歳のGK楢崎正剛とDF森岡隆三に26歳のMF三浦淳宏と、年齢的にも近い選手がメンバーに加わった。

 2002年の日韓W杯で日本代表のコーチを務めた山本が指揮を執ることになった2004年アテネ五輪のOA枠は、山本監督らしい<細かい配慮>がなされた。

 GK曽ヶ端準は、日本代表に選出されていたものの、楢崎正剛と川口能活という長らく日本代表の正GKを務めた2人がいたので出場機会が限られていた。そこで国際舞台の経験をアテネで積ませようと抜擢した。

 MF小野伸二は、前回シドニー五輪予選で重傷を負って本大会に出場できなかった。戦力としてはもちろん、五輪という檜舞台に出場させてやりたい。そんな思いやりの気持ちを感じた。

 そしてエコノミー症候群で2002年日韓W杯に出場できなかったFW高原直泰にもチャンスを与えた。しかし……。

 高原は五輪直前に再びエコノミー症候群にかかってしまい、2大会連続の五輪出場はかなわなかった。日韓W杯に続いて不運に見舞われた。

 反町康治監督が率いたU-23日本代表は、2008年北京五輪でOA枠を使わなかった。

 反町ジャパンは当時19歳だったMF香川真司にDF吉田麻也、22歳のGK西川周作、DF長友佑都、MF本田圭佑、FW岡崎慎司とその後、長らく日本代表の主軸として活躍した実力派選手がそろっていた。

 2012年ロンドン五輪で関塚隆監督は2人のOA枠を使った。

 1人はキャプテンを任せたDF吉田麻也、もう一人はアテネ五輪にも出場した徳永悠平だった。この徳永は、守備的なポジションならどこでもプレーできるユーティリティー性を買われての起用だった。

 チームはベスト4まで勝ち進んだが、3位決定戦でライバルの韓国に敗れ、メキシコ五輪以来44年ぶりのメダル獲得はならなかった。

 当時、Jリーグの1チームから選出される選手は<最大3人まで>という申し合わせがあった。 このためFW杉本健勇(当時19歳)は、C大阪のチームメートに五輪主軸のMF扇原貴宏、MF山口蛍、MF清武弘嗣がいたので東京Vにレンタル移籍することで五輪代表に滑り込んだ。ちなみに彼がメンバーに入ったことで落選したのが、現日本代表のエース格である大迫勇也だった。

 2016年のリオ五輪(と言っても日本はマナウスで2試合、サルバドールで1試合やってグループリーグ敗退。一度もリオに行くこともなくブラジルを後にした)で手倉森誠監督は、3人のベテラン選手を選んだ。

 DF藤春廣輝とMF塩谷司、FW興梠慎三の3人だった。藤春と塩谷は27歳。興梠は30歳にして初の五輪出場だった。

 リオ五輪の日程は8月8~20日だった。もしも日本が決勝戦に勝ち進んだ場合、帰国は早くても8月22日になる。

 ところが9月1日にはロシアW杯のアジア最終予選が始まる。当時のハリルホジッチ監督は、五輪OA枠に代表主力クラスの選手を出すことを嫌がった可能性が高い。

 森保監督は、果たしてOA枠に誰を起用するのだろうか? コロナ禍によって随分と先の話になってしまったが、とにもかくにも「サッカーのある日常」を1日も早く取り戻したいものである。

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