六川亨
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六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

JFA初の会長選で選ばれた田嶋幸三氏のインタビュー一部始終

公開日: 更新日:

 話は4年前に遡る。

 2016年1月31日に日本サッカー協会(JFA)は、初めての会長選挙を実施した。これまではJFA幹部(会長、副会長、専務理事ら)が選んだ次期会長予定者を理事会が承認し、全国の評議員(47都道府県のサッカー協会代表者、J1の実行委員、Jリーグ、JFL、大学と高校連盟の代表者など75名で構成)が追認する形で決まってきた。

 任期は原則2期(1期2年)4年。W杯イヤーの年の本大会後、新会長にバトンタッチするのが慣例だった。第8代会長の長沼健氏(故人=1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得したときの日本代表監督)は、1994年から日本がW杯初出場を果たした1998年まで会長を務め、1996年に決定した2002年(日韓)W杯の招致活動に奔走した。

 続く第9代会長の岡野俊一郎氏(故人=メキシコ五輪のときの日本代表コーチ。元IOC委員)は1998年から2002年まで務め、日韓W杯後に初代Jリーグチェアマンの川淵三郎氏(元日本代表。元代表監督)が第10代会長として2008年まで3期6年を務めた。

 第11代会長の犬飼基昭氏は、浦和レッズの社長としてチームをACL優勝に導くなど手腕が評価されての会長就任だったが、08年から1期2年で退くことになる。

 任期2期4年の原則が崩れたことになったが、第12代会長の小倉純二氏(元FIFA理事)が2010年から1期2年で退任したことで任期のサイクルは元に戻った。

 第13代会長の大仁邦彌氏は2016年まで務め、なでしこジャパンの2011年ドイツ女子W杯の優勝、同年3月の東日本大震災からの復興などに尽力し、現在は名誉会長を務めている。

 そして2016年を迎え、JFAは初となる会長選挙を導入した。というのも、FIFA(国際サッカー連盟)が2016年2月、汚職事件で退任したブラッター前会長の後継者を決める臨時総会を開き、加盟各国の会長による投票によってイタリア人のインファンティーノが選ばれた。

 会長選挙の透明性を高めるために「日本と韓国もFIFAと同じように選挙戦によって次期会長の選出するように」と強く求めたからだった。

 日本としては、大仁会長の任期がブラジルW杯本大会後まであるために選挙の延期を求めた。しかし、その訴えをFIFAは退け、JFAは1月31日に初の会長選を実施することになったのだ。

出馬した田嶋氏と原氏の違い

 その会長選に立候補したのは、当時JFAの副会長だった田嶋幸三氏とJFAの専務理事、技術委員長などを歴任した原博実氏の2人だった。

 約1カ月前の前年12月28日 には、築地の朝日新聞本社のホールで対談形式で立候補した動機、基本方針などのプレゼンテーションが開催された。

 両者の違いを簡潔に紹介していきたいーー。

 田嶋氏はJリーグの秋春制への移行を提案したが、原氏は慎重論を展開した。代表強化については、田嶋氏が日本代表を重視したのに対して原氏は所属クラブでの国際経験の重要性を指摘した。普及に関しては田嶋氏が「JFAを中心に」と中央主導を訴えた。原氏は対照的に「地域で特色を出す」と地方主導を主張。役員報酬の開示にしても、田嶋氏が「すぐに開示すべき」と積極的だったが、原氏は「デメリットもある」と慎重な姿勢を崩さなかった。

 選挙の結果だが、評議員75名による投票で40票対34票(白票1)で田嶋氏が第14代会長に選出された。その後の展開に驚かなかったサッカー関係者は少なかった。新人事に着手した田嶋新会長が、原氏に対して専務理事から2階級降格となる平理事職を打診したーー。そんな噂が流れた。

 するとJリーグの村井満チェアマンが、原氏にJリーグ副チェアマン職への就任を打診。これを原氏は快諾し、短い期間でJFAからJリーグに<現住所>が変更になったのである。

 原氏は現在、Jリーグで初めて出来たポストである副チェアマン職を務めつつ、Jリーグ選出のJFA常務理事としても働き、Jリーグと日本代表の日程を調整するためにJFAの技術委員会にも名を連ねている。

 2018年、2020年にも会長選挙が行われるはずだったが、いずれも立候補者が田嶋会長一人だったので今年の3月14日には、JFA理事会で3選が決まり、田嶋氏は3期6年目をスタートさせたのである。

■田嶋氏が発表した40ページの小冊子

 そんな田嶋会長が昨年12月に「田嶋幸三 2020年の決意」というA4版40ページの小冊子を出した。会長3選に向けての決意表明と言っても良かった。注目すべきポイントが、巻末の39ページに書かれていたことだ。

 まずは<評議員会の改革>である。現在、審判と指導者、障害者連盟を始めとして女子選手会やグラスルーツの代表らは評議員のメンバーに入っていない。これについて田嶋会長は「FOOTBALL FOR ALLの精神のもと、我々の評議員会のメンバーに入っていただけなければならないだろう」と今後の改革を表明した。

 そしてもう一点。これには、個人的にも大いに驚かされてしまった。田嶋会長は、会長選挙に否定的だったことだった。

「選挙をするということは、対立軸を作って争うものであり、確執が生まれやすく、それに費やすパワーは負のパワーになりがちである。(中略)サッカー協会という公益性の高い団体で原則として4年に1度の選挙に変えたとは言え、顔が見える中でサッカー界の発展に邁進している人達同士で争うことは、時間と労力の無駄である」と言い切っていたのである。

 さらに「2016、2017年に岡田武史氏が委員長(当時JFA副会長)となって選挙改革を検討し、日本にはそぐわないということが委員会の意見としてまとめられた。しかしFIFAからの了解が得られずに今日に至っている。(中略)しっかりとFIFAと交渉し、万一FIFAが認めない場合でも、最適な会長を選出する方法を模索したい」と、FIFAへの改革継続を宣言した。

■一致団結の必要性を説いた田嶋氏

 先だって、田嶋会長を独占インタビューする機会に恵まれた。質問の最後に「なぜ会長選挙が日本に馴染まないのか?」と質問した。その答は次のようなものだった。

「この難局に今こそ日本サッカー界は一致団結して臨まないといけないと思っています。国会ですら一致団結してやらなければいけない。選挙をするということは、ある意味で対立軸を作るということ。選挙をやることで一致団結が削がれるとしたら、これは大変なことになります。私は今回立候補者1人で選ばれて会長予定者になり、こうして会長になり、そして任期をスタートしたわけです。難局の時に会長を務めることの責任の重さを感じるとともに皆が一致団結することの大切さを説いていきたいと思っています。幸いにも今、会長に就いたばかりなのですぐに選挙うんぬんの話は必要ないと思っています。難局を乗り越えるために何をなすべきか? サッカー界一丸となって取り組んで行きます」

 日本には「和を以て貴しとなす」という精神がある。W杯の試合などの後、ファンやサポーターはスタンドを清掃するメンタリティーもある。

 この<日本スタイル>で難局を乗り切ることができれば、今後の自信に繋がることだろう。

 田嶋会長には評議員会の門戸開放をお願いし、JFA会長選制度の改革には是非ともチャレンジして欲しい。

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