著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

山本アテネ五輪監督が率いたのは「谷間の世代」だった

公開日: 更新日:

サッカー日本五輪代表物語 #9

「アテネ(五輪)経由ドイツ(W杯)行き」

 2004年アテネ五輪のアジア予選を戦うに当たり、山本昌邦監督が掲げたキーワードだった。

 23歳以下(延期された東京五輪は24歳以下)という年齢制限のある五輪は通過点に過ぎず、選手としての「最終目標はW杯である」という指揮官のメッセージでもある。

 その山本監督が五輪代表を率いるようになったのは、2002年の日韓W杯が終わってからだった。

 日韓W杯ではトルシエ代表監督をコーチとして支え、日本をW杯初のベスト16に導いた。

 1996年アトランタ五輪でも、コーチとして28年ぶりの五輪出場に貢献。その後はU-20(20歳以下)代表監督として1997年のワールドユース(現U-20W杯)で当時最高位となるベスト8入りを果たした。

 さらに準優勝を果たした1999年ワールドユースでは、途中まで山本監督がさい配をふるった(チームが勝ち上がった段階でトルシエ監督が指揮権を握った)。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平は米国人から嫌われている?メディアに続き選手間投票でもMVP落選の謎解き

  2. 2

    前田健太は巨人入りが最有力か…古巣広島は早期撤退、「夫人の意向」と「本拠地の相性」がカギ

  3. 3

    新生阿部巨人は早くも道険し…「疑問残る」コーチ人事にOBが痛烈批判

  4. 4

    阪神の日本シリーズ敗退は藤川監督の“自滅”だった…自軍にまで「情報隠し」で選手負担激増の本末転倒

  5. 5

    藤川阪神で加速する恐怖政治…2コーチの退団、異動は“ケンカ別れ”だった

  1. 6

    山本淳一は「妻をソープ送り」報道…光GENJIの“哀れな末路”

  2. 7

    大関取り安青錦の出世街道に立ちはだかる「体重のカベ」…幕内の平均体重より-10kg

  3. 8

    巨人・岡本和真が狙う「30億円」の上積み…侍ジャパン辞退者続出の中で鼻息荒く

  4. 9

    大谷翔平の来春WBC「二刀流封印」に現実味…ドジャース首脳陣が危機感募らすワールドシリーズの深刻疲労

  5. 10

    光GENJIは全盛期でも年収3000万円なのに…同時期にジャニー&メリーが3億円超稼げていたワケ