著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

Jリーグを作った男「即断即決のできるリーダー」森ケンさんを悼む

公開日: 更新日:

 考えてみれば番組のスポンサーは「三菱グループ」だし、両大会の決勝戦に人工芝のグラウンドを提供したのも1975年に完成した「三菱養和会スポーツクラブ」だった。

 サッカーを始めとして体操クラブやスイミングスクールなど、時代を先取りした総合スポーツクラブを創設したのが森ケンさんだった。

 ちなみにサッカー関係者は、森健児さんのことを「森ケンさん」と呼ぶ。なぜかというと実弟に早稲田大学時代は釜本邦茂氏と同期で天皇杯を制し、1968年メキシコ五輪では銅メダルを獲得して1985年には加藤久さんや木村和司さんらを率いて1986年メキシコW杯予選を戦った日本代表の監督・森孝慈さん(2011年7月に他界)がいるからである。

 そこで兄は「森ケンさん」、弟は「森チンさん」とニックネームで呼ばれるようになった。

 8月24日、森ケンさんが肝細胞癌のために帰らぬ人となった。

 1985年に日本サッカーリーグ(JSL)の総務主事になるとJSLのプロ化=Jリーグ創設の礎を築いた。プロ化の2年前・1991年にJリーグの専務理事に就き、1998年から2002年まで日本サッカー協会(JFA)の専務理事を務めた。

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