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六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

高校サッカー選手権決勝で敗れた流経大柏を見ながら、43年前の帝京の準々決勝敗退を思い出した

公開日: 更新日:

 筆者は、流経大柏の快進撃に一抹の不安を抱いたものだ。というのも過去の高校サッカー選手権で、大勝したチームがあっさりと敗退した例があるからだった。

 昭和56年度(1981/1982年)の第60回全国高校サッカー選手権でのこと。

 4度目の優勝を狙った帝京(東京)は、1回戦で高松南(香川)に9-0、2回戦は仙台向山(宮城)に8-1、そして3回戦では高崎(群馬)に7-1と圧勝した。 3試合で奪ったゴールは計24点。まさに攻撃陣が大爆発した。

 しかし、準々決勝ではFWの保坂孝や羽中田昌を擁する韮崎(山梨)に0-2で完敗を喫した。 試合後の帝京・古沼貞雄監督は「ゴールを取れるからと誰もが攻めた結果、点は取れたもののオーバーワークになってしまった」と敗因を分析した。

 連戦を考慮して、セイフティーリードを奪ったらボールを保持し、体力の温存を図るという発想は、当時の高校サッカー界には皆無だった。

 大差のついた試合の連続になったのは、もちろん帝京の破壊力もさることながら、第60回大会は記念大会として参加校の枠が拡大されて「1県1校(東京は2校)」の48校が出場したことも影響したのだろう。

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