ブチ切れた球審がまさかの“逆襲”、長嶋茂雄監督のあんなに慌てふためいた顔は見たことがない
「なんだ、チョースケ!」
当時はドリフターズの全盛時代。リーダーのいかりや長介が人気者だった。そのリーダーをコントの中でドリフのメンバーたちが「チョースケ」と陰口をたたいたり、からかったりしていた。それにならったのであろう。
巨人ベンチからはクスクスと笑い声が聞こえる。選手が下を向いて必死に笑いをこらえているのが手に取るように見えた。
これにはさすがの長嶋監督も立場がなくなった。一本とられた格好である。
このままではマズいと思ったのだろう、慌ててベンチから飛び出すと松橋球審の向きをクルリと変えると、「ポーン」と背中をたたいた。トットットッとたたらを踏んで松橋球審の体がバッターボックス側へ。そしてちょうど、捕手の後ろで止まり、「プレーボール!」のコールがかかった。ドンピシャのタイミングだった。
後にも先にも、あんなに慌てふためいた長嶋監督の顔は見たことがない。
▽田中俊幸(たなか・としゆき)1940年、山口県下関市生まれ。下関商から59年に南海に入団。2年間在籍してファームで2勝1敗。65年にセ・リーグ審判となり、97年審判部長に就任。2000年に現役を退き、01年から審判総務として後進の指導に当たる。03年限りで退職。08年、67歳で死去。
◇ ◇ ◇
当連載【プレイバック「私が見た長嶋茂雄」】は随時公開。