故障で挫折した本格派右腕・川崎憲次郎を「技巧派の見本」として再生させたのは…
でも、なぜか腹が立たない。他の先輩選手もそうだったんでしょうね、逆に「面白いやつだな」と受け入れられていました。今のプロ野球界は、少しの年齢差なら先輩でも友達感覚で接する選手が増えています。コーチになって、選手同士の関係が昔に比べて変わってきていることを実感しましたが、川崎のような選手は当時は珍しかったのは確かでしょう。
もちろん、川崎も常にそんな態度で先輩選手と接していたわけではありません。「おい!」と言えば、シャキッとする。僕も冗談半分で叱ったことが何度かあります。
前回のこの連載で取り上げたギャオス内藤を彷彿とさせますが、内藤は何も気にせずにどんどん突き進むタイプ。川崎はそんな内藤の後ろについて、「怒られるまでやっちゃえ」という性格でした。この2人はよほどウマが合ったらしく、「ギャオス隊長、川崎隊員」という関係で、よく遊びに行っていましたよ。
個性派揃いだった当時のヤクルト選手はよく遊び、よく練習しました。川崎もそう。大分の津久見高校から1988年のドラフトで入団した当初は、150キロのストレートを投げる本格派右腕。高卒1年目から4勝、12勝、14勝、10勝と順調に成長しましたが、その後の数年間はヒジを痛めて思うような成績が挙げられませんでした。普段はおちゃらけていても、野球に関しては人一倍マジメな男です。相当苦しみ、悩んだと思いますよ。