仁志敏久は“大人の事情”で五輪代表漏れ…とても悔しそうな表情が今でも忘れられない
本当の理由を伝えることができたのは、彼がプロ入りした後のことだった。横浜ベイスターズでフロントを務めていた時、仁志が巨人から加入した。人づてに理由を聞いていたという仁志は、「あの時は本当に悔しかったです」と言っていた。そうした経緯がありつつも、仁志は現役引退後、侍ジャパンのコーチやU12代表の監督を務めるなど、日本代表に率先して関わってくれている。私もアマ野球界のさらなる発展のために尽力したいと改めて思う。
▽やまなか・まさたけ 1947年4月24日、大分県生まれ。佐伯鶴城高、法政大、住友金属工業で投手としてプレー。東京六大学最多勝利記録保持者(48勝)。住友金属で監督を務めた後、88年ソウル五輪コーチで銀メダル、92年バルセロナ五輪監督で銅メダルを獲得。法政大監督、横浜ベイスターズ専務などを歴任し、2016年野球殿堂入り。17年から侍ジャパン強化委員会強化本部長を務め、18年に全日本野球協会会長に就任。
◇ ◇ ◇
当記事ページ下部の関連記事からは、山中氏による同連載「オリンピック野球伝道」(2020年)を読むことができる。プロ野球ファンは要チェックだ。
(火・水・木曜公開)