約100年前、ナイターの事始めは黒人リーグだった…背景にエジソンの“大発明”
だが、大リーグの各球団はナイター設備になかなか手を出さなかった。設備費がかかるだけでなく「ケガが怖い」と選手たちの賛同を得られなかったからである。
38年にドジャース(ニューヨークのブルックリン時代)が装備すると徐々に広がり、39年にはナ・ア両リーグでナイターが行われるようになった。
第2次大戦後の46年にヤンキースが、その後にライバルのレッドソックスが続いた。タイガースが5万人を超える観衆を集めたとき、各チームのオーナーは「ナイターはビジネスになる」と認めて、ナイター時代を迎えることになった。
ちなみに日本での初ナイターは33年ごろの学生試合で、プロ野球は48(昭和23)年8月17日、横浜ゲーリッグ球場(のち横浜平和球場、現・横浜スタジアム)で行われた巨人-中日戦(中日の勝利)だった。
エジソンは蓄音機や活動写真(映画)なども発明。野球は歌や映画にもなり、文化の発展とともに歩んできた代表的なスポーツである。