誰が勝ったか分からない、不思議な日本のテニス報道の背景…専門誌は1誌になったが、悲観することもない
週前半の穴埋め? しかし、穴埋めは誰にでも務まらない。そこがテニスの誇りである。
ウィンブルドン期間中、「テニスジャーナル」の編集長を長く務めた井山夏生が他界した。80年代から90年代にかけ、日本にはテニス誌が5誌もあった。隔週発行を加え月に6冊ーー世にも特異なこの現象には2つの理由があったと思う。
我が国のローンテニス(硬式テニス)は、上流階級のたしなみがデビスカップの活躍=国際化で普及した歴史を持ち、上皇ご夫妻の出会いを演出した“ミッチーブーム”で一味違う好感度を固めた。そこにメーカーが食い込んだ。ラケット、ボール、ガット、ウエア、スクール……専門誌群は多種多様な広告であふれていた。
そんなテニス誌がコロナ禍を口実に撤退し、いまは辛うじて1誌。ネットメディアの台頭をいうのは簡単だが、影響は小さくない。
例えば「テニスジャーナル」には村上龍、玉村豊男といった“部外者”も寄稿していた。
雑誌がなくなり多様な視点が消え、もっともらしい記録と紋切り型の談話で話題が広がりをなくした。都内のコート面数も減っているという。
が、悲観することもない。週の前半とはいえ、錦織圭が不在でも、新聞は必ずテニスを報道するのだ。そんな国は他にない。