スポーツ界に時代錯誤の事案が多発する根本原因…新聞社後援イベントは限界と危うさを孕んでいる
出雲駅伝が終わり、今週末には箱根駅伝の予選会が行われる。
「明治期におけるスポーツジャーナリズムの一断面」(渡辺勇一=広島経済大学論文集)を読みながら思い出したことがあった。1898(明治31)年の東京発行の新聞では「萬朝報」が一番売れていたそうだ。マラソンの祖とされる金栗四三は、箱根駅伝を始めるにあたり日記にこう書いている。
「萬朝報にでも持って行こうかと思う」
よろずちょうほう……ちょっとふざけた社名だが、実際に箱根駅伝を後援したのは報知新聞(旧)で、報知は戦後になって読売新聞に吸収され、現在は読売新聞と関東学連の共催である。
日本の新聞は日清・日露戦争期に急速に需要が高まった。新聞は戦争になると売れたのだ。終戦後に熱が引き、各紙は読者獲得にさまざまなイベントを企画した。各種の博覧会、囲碁将棋、スポーツ……。大阪毎日の全国中学庭球大会(1908=明治41年~)、大阪朝日の全国中学優勝野球大会(1915=大正4年~)、そして箱根駅伝が報知新聞の協力を得てスタートしたのは1920=大正9年だった。