ソフトB1位・佐々木麟太郎の幼馴染が明かす“怪物の真実”…「最近は英語で話しかけてくるんですよ(笑)」
学内テストは上位、「最前列で熱心にノートを取っていた」
花巻東野球部は私生活や礼儀などの指導に加え、勉強面も重視。テストの成績が悪いと、練習参加が禁止されることもあった。
「テスト前は野球部で勉強会が行われていました。成績は僕はクラスで真ん中くらいだったけど、麟太郎は上位。勉強会でも指導役のコーチがいる最前列に座って、熱心にノートを取っていました。麟太郎の得意科目は英語と歴史。僕は体育です(笑)。授業で聞き逃した部分や、わからない箇所は麟太郎に教わったりしました」(熊谷)
佐々木は花巻東3年時、ドラフト1位候補に挙げられながら、プロ志望届を出さず、米スタンフォード大に進学した。熊谷は佐々木から進路について、特に話をすることはなかったという。
「日米の大学進学か、プロ野球入りか、と部内でウワサになっていました。3年時(2023年)の国スポが終わった時点で『プロ志望届は出さない』と宣言すると、部員全員が『おお!』と沸いたのを覚えています。ただ、スタンフォード大と聞いた時は本当にびっくりしましたよ。名門中の名門じゃないですか。麟太郎も進路を決めてからは練習と英語の勉強に半々くらい時間を割くようになりました。練習中、グラウンドの横にある放送室で勉強していました」
現在も熊谷はLINEなどで佐々木と連絡を取り合い、帰国した際は母校などで一緒に練習をしている。
「LINEでもそうですが、最近は本人と会った時も英語で何か話しかけてくるんですよね(笑)。これだけ英語をしゃべれるようになったぞ、と誇示? それはわかりませんけど……(笑)」
苦笑いを浮かべる熊谷は、こんなエピソードを明かす。
「去年の冬に一緒に練習した時、バットとバッティンググローブをもらったんです。バットは87センチで900グラム。85センチを使っている僕が試合で使うには重いので、今のところは練習用。グローブの方はそれをはめて大学の紅白戦に出たら、ホームランを打てたんですよ。僕は高校通算0本。麟太郎が乗り移ったのかな……なんて思いました。米国で頑張っている麟太郎に負けないように、僕ももっとレベルアップしたいですね」
▽佐々木麟太郎(ささき・りんたろう)2005年4月18日、岩手県北上市生まれ。江釣子ジュニアで野球を始め、大谷翔平の父が監督を務める金ケ崎シニアを経て、花巻東に進学。22年センバツ、23年夏の甲子園に出場。高校通算140本塁打は史上最多。右投げ左打ち。184センチ、120キロ。



















