サッカー元代表DF秋田豊さん「ヘディングではほとんど勝てた」 3試合フル出場98年フランスW杯を振り返る
あの時、三笘薫がいれば…
──決勝トーナメント進出を懸けて負けられない一戦になった2戦目クロアチア戦。結果はまたしても0対1。ゴールを決めたのはFWシューケルだった。勝敗の分かれ目は前半33分。MF中田英寿からFW中山雅史にラストパス……。
やはり最大のポイントはあそこですね。中山さんがGKと1対1になったビッグチャンス。あれが決まっていればという思いはみんなにあると思います。ただ、サッカーは相手に点を取られなければいいので、0点に抑えていればよかったという思いもある。致し方ないです。
違う見方をすれば、例えば、今は三笘薫がいます(英プレミアリーグのブライトン所属)。彼は親善試合のイングランド戦で余裕を持ってサイドキックでゴールを決めることができる。あの時の日本代表にはそういう選手がいなかったということだと思います。今は代表のほとんどの選手が海外組ですが、あの頃は誰も海外に行っていない時代。そういう差なのかなと感じました。
■骨折しながらプレーしていたジャマイカ戦のゴン中山
──決勝T進出の可能性が消えて戦った3戦目ジャマイカ戦。結果は1対2、日本代表は全敗に終わったが……。
中山さんがゴールを決めた。日本にとってW杯の最初のゴール。実は戦う相手として僕が一番嫌なストライカーが中山さんです。なぜかというと、どんな時も全力でプレーするからです。諦めない。すごくメンタルが強い。相手にしたら嫌だけど一緒にやっていると楽しいし、ミスがあっても許せる、本当に気持ちがいいです。あの試合も中山さんは試合中に骨折してもプレーしていましたからね。ただ、勝ちにはいったけどグループリーグ敗退が決まっていたので、そんなに勝敗にはこだわっていなかった。
精いっぱいやるだけ。とにかく日本サッカーに新しい歴史をつくることができたのはよかった。
今も一番話をするのは井原(正巳)さん。ずっと一緒にやったからあうんの呼吸というか。井原さんは大きいし、キャプテンシーがあり、ラインコントロールもうまいバランスが取れた人です。
あの時の監督は岡田武史さんです。僕は日本代表時代、ファルカン、加茂周さん、岡田さん、トルシエ、ジーコと5人の監督の下でプレーしました。
その中で岡田さんが一番理想とする監督だったと思います。フィジカルもメンタルも戦術的なところもうまくバランスをとって、高いレベルでやっていたと思います。
今の森保(一)監督は真面目、メチャクチャいい人です。天狗にならず人の話を聞く耳も持っている。僕らはポイチさんと呼んでいました。今でも代表のことも嫌な顔一つしないで話してくれます。
僕のことがちょっと問題になった時も「ちょっとしたことでもパワハラになると、本来選手に伝えなきゃいけないことを伝えることができない可能性があるとしたら心配」とコメントしてくれた。
今の日本代表は2つのチームをつくれるくらい力がある。ケガで出られない三笘は残念。日本代表のキーマンは遠藤航だと思います。頑張ってほしいです。
(聞き手=峯田淳、絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽秋田豊(あきた・ゆたか) 1970年8月生まれ、愛知県出身。93年鹿島アントラーズ入団、2004年に名古屋グランパスエイト、07年京都サンガFCに移籍。代表キャップは44、得点は4。98年仏W杯はDFとして3試合フル出場。引退後はJリーグのコーチ、監督を歴任、解説者としても活躍。現在は体をケアするトレーニング用ゴムバンド、パワープレートを扱うサンクト・ジャパン代表。女子サッカー、琉球DEIGOSのスーパーバイザーとしても活動している。



















