「太陽の塔」平野暁臣編著

公開日: 更新日:

 大阪・千里丘陵の広大な公園の何もない野原に降臨したかのように屹立する「太陽の塔」。高さ70メートルのこの異形の巨像が、1970年に開催された万国博覧会、通称「大阪万博」を象徴するテーマパビリオンの一角を成し、大屋根から顔を出していたことを覚えているのは、もはや昭和世代だけだろう。

 建築から約半世紀を経た太陽の塔は、耐震などの再生工事を施され、今春、新たによみがえった。万博以後は未公開で、半ば廃虚となっていた塔内部の展示も再生され、建築当初の姿を取り戻し公開が始まっている。

 万博のことを知らない若い世代も含め多くの日本人の心をとらえて離さないこの「太陽の塔」とは一体何なのか、作者の岡本太郎はどんな思いを込めて、何を狙ってつくったのか。その誕生の背景に迫るグラフィックブック。

 万博は従来、魅力的な近未来を疑似体験させる場であり、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、国家的祭典として取り組まれた大阪万博もそのコンセプトの下で会場全体が構築されていた。しかし、岡本は「エキスポのテーマプロデューサーを引き受けたとき、私はその中核に、人間であることの誇り、生きていることの歓びを爆発させたいと思った」と後に語っている通り、万博のコンセプトに真っ向から対抗するような土着的で原始的なパワーを放つ太陽の塔を会場のど真ん中に突き立てた。

 太陽の塔を中心としたテーマ館は、観客を地下展示室から太陽の塔の胎内へと誘い、エスカレーターを乗り継ぎながら生命の進化の過程を表現した塔内展示「生命の樹」をたどり、地上30メートルの大屋根の内部に設けられた「空中展示」へと運んでいく。太陽の塔は、万博全体のシンボルであるとともに、テーマ館の一部として機能していたのだ。

 テーマ館全体のディレクターを務めた建築家・丹下健三氏の下で設計作業に携わっていた磯崎新氏は、インタビューで初めて太陽の塔のプランを見たとき、「『いやーな感じ』がしました(笑い)。パンドラの箱をじゃないけど、ふたを開けたら、見たくないものが出てきたというか」と当時を回顧。一方で「アナクロだけど、当時ぼくらが信仰していたモダニズムを突き抜けるような存在感があるとも思いました」と語っている。

 他にも岡本自身のさまざまな発言や原稿、パートナーだった故・岡本敏子氏ら関係者の証言や寄稿、当時の記録とともに、アイデアを練る段階のデッサン画や、製作時のスナップなどの豊富な図版資料も紹介。太陽の塔の誕生の軌跡を追いながら、塔を生みだした芸術家の哲学に迫る。

 編著者の平野氏は、太陽の塔は決して「死んだ遺産」などではなく、「いまを生きるぼくたちに普遍的なテーマを投げかけてくる同時代のベンチマーク」なのだと記す。懐古に終わることなく、今も変わらず見る者に影響を与え続ける希有な「彫刻」のパワーの秘密に迫ったドキュメント本。(小学館 3000円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    名球会入り条件「200勝投手」は絶滅危機…巨人・田中将大でもプロ19年で四苦八苦

  2. 2

    永野芽郁に貼られた「悪女」のレッテル…共演者キラー超えて、今後は“共演NG”続出不可避

  3. 3

    落合監督は投手起用に一切ノータッチ。全面的に任せられたオレはやりがいと緊張感があった

  4. 4

    07年日本S、落合監督とオレが完全試合継続中の山井を八回で降板させた本当の理由(上)

  5. 5

    巨人キャベッジが“舐めプ”から一転…阿部監督ブチギレで襟を正した本当の理由

  1. 6

    今思えばあの時から…落合博満さんが“秘密主義”になったワケ

  2. 7

    巨人・田中将大が好投しても勝てないワケ…“天敵”がズバリ指摘「全然悪くない。ただ…」

  3. 8

    高市早苗氏が必死のイメチェン!「裏金議員隠し」と「ほんわかメーク」で打倒進次郎氏にメラメラ

  4. 9

    世界陸上「前髪あり」今田美桜にファンがうなる 「中森明菜の若かりし頃を彷彿」の相似性

  5. 10

    三角関係報道で蘇った坂口健太郎の"超マメ男"ぶり 永野芽郁を虜…高畑充希の誕生日に手渡した大きな花束