「ある葬儀屋の告白」キャレブ・ワイルド著 鈴木晶訳
アメリカの葬儀屋が書いた本である。著者は代々葬儀屋を営んできた家に生まれ、紆余曲折はあったものの、その仕事を受け継いだ。したがって、父親や祖父と一緒に仕事をしている。しかも、母親も葬儀屋の生まれである。
日本の葬儀屋とアメリカの葬儀屋が違うのは、「エンバーミング」をするかどうかである。日本でも死者には死に化粧が施されるが、アメリカのエンバーミングは、血液の代わりに化学薬品を入れ、死者をまるで生きているかのように蘇らせていく。
これが導入された当初は、批判もあったようだが、今ではアメリカの社会にすっかり定着している。エンバーミングの作業は葬儀屋で行われるので、そこに生まれた人間は死者に囲まれながら成長していくことになる。
それがいったいどういうことなのか。著者は、死者とともに育っていくという環境のなかで、死について深く考えるようになる。死者のなかには、親族など身近な人間も含まれる。あるいは、昨日葬儀で出会った知り合いが、翌日に亡くなり、葬儀をあげてもらう側に回ることもある。
読んでいて涙を誘うのは、幼くして亡くなった子どもの葬儀の場面である。家族は、なかなか死を受け入れることができず、葬儀屋に遺体を運ばせることに抵抗する。そんなとき著者は、いつまでも待っていると遺族に告げるのだ。
この本が出るきっかけになったのは、著者がブログを立ち上げ、そこに自らの思いをつづるようになったからである。そのブログのなかで、著者は、死の問題に深く切り込んでいった。死の問題だけではなく、生の問題の考察にも結びつく。それは、頭のなかだけの話ではなく、著者の実際の人生とも深くかかわっていく。
著者は結婚するが、子どもができない。そもそも死者に囲まれて育ったせいで、子どもを持つべきかどうかにも悩む。それでも、葬儀屋としての仕事を続けるなかで出会うさまざまな死を通して、生きることの価値を改めて認識し、最後には養子を迎える決断をする。著者は言う。
「死を直視すればするほど、それだけ生を受け入れられるということを知ろう」
(飛鳥新社1574円+税)