【総論 ビートルズとはいったい何だったのか】①自作自演 「俺にも出来る…素人が弾き叩き歌って世界を激変させた
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いよいよ本連載も今週で終わり。というわけで最終週は5回にわたって、「ビートルズとはいったい何だったのか」と題し、彼らの功績について総論的に語ってみる。
大それたテーマだが、怖くはない。2026年の世において、ビートルズ全曲批評を成し遂げたアラ還なんて、世界にもそうはいないだろうから。
大きな功績の1つ目は「自作自演」。まだまだかなり少数派だった自作&自演を一気にスタンダードにしたのである。
まずは「自作」。初期にはカバーも多かったが、中期以降は、自作楽曲、特に「レノン=マッカートニー」作品で占められていった。
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職業作家にはない、言ってみりゃ素人による、斬新かつ破天荒な歌詞やメロディーが、ロックの表現世界を極限まで広げた。
例えば『ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード』(68年)は、ポールが猿の交尾を見て作ったという。後にも先にもないだろう「交尾ロック」なんて。
次に「自演」。そりゃエリック・クラプトンもオーケストラもいたけれど、ほぼすべてのギター、ベース、ドラムス、キーボードはメンバー自身によって演奏されていた。
「当たり前じゃないか」と思う人も、今となっては、多いだろうが、これは画期的なことだった。
全曲批評に向けて、いろいろな資料を調べたのだが、その中で、メンバーの意思で初めて呼んだ外部プレーヤーが『悲しみはぶっとばせ』(65年)のフルートだと知って驚いたのだ。逆に言えば1965年までは、「メンバー内制手工業」だったのだ(もちろんピアノなどで参加したジョージ・マーティンや『ラヴ・ミー・ドゥ』(63年)のドラムスを叩いたアンディ・ホワイトなどはいたが)。
またビートルズの影響を受けて作られたのがビーチ・ボーイズの名盤『ペット・サウンズ』(66年)だが、よく知られている通り、あの名盤の演奏は「レッキング・クルー」と呼ばれる腕利きのスタジオ・ミュージシャンによるものだった。
対して、ビートルズは、中後期の複雑な演奏まで、基本4人自身で弾き、叩き、そして歌った。
そんな「自作自演」。もちろん素人っぽさも詰めの甘さもあっただろう。素人が聴いても分かるミスも多かった。でもそれがよかったのだ。
なぜなら「自作自演」ならではの創造性、そして世界中の若者に「俺にも出来る」と思わせる間口の広さが、その後のロックを新しく、そして大きくしたのだから。
だからこそ、ビートルズはビートルズになれたのである。 (この項つづく)
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