(54)介護は、予測ができず、急な判断に迫られることの連続
朝日が差し込んだ瞬間、過度に不安を抱いていた自分に気づいた。運命に委ねてよい部分は委ねればよいのだ。そう思えて、肩の力が抜けた。
元日から数日、施設の母のところに面会に通った。年末からほとんど食べず、眠ってばかりだと聞いていたが、話題によっては反応が戻ることがある。家族でよく出かけた小さな山のことを話したとき、母は即座に言った。「あんたの小さい頃に何べんも連れて行ったたい」。続けて、「お母さんが元気になったら一緒に登ろうかね」と。
現実にはもう歩ける体ではない。それでも、その言葉は母に残っている意思の確かな表れだった。私は「一緒に登るなら、ご飯を食べんといかんよ」と言った。母はうなずき、その日の夕食を完食した。翌日も9割食べた。施設の職員も驚くほど劇的な変化だった。
母がその山に再び登ることは、おそらくできないだろう。それでも、行きたい場所を懐かしく思い浮かべ、食べる力を取り戻した。
介護とは予測ができず、常に急な判断に迫られるタフな時間の連続だ。だが、まだ続く時間がここにある、とわかるときがある。ただその一点を感じるだけで十分なのだと思っている。 (つづく)
▽如月サラ エッセイスト。東京で猫5匹と暮らす。認知症の熊本の母親を遠距離介護中。著書に父親の孤独死の顛末をつづった「父がひとりで死んでいた」。



















