天皇皇后「空海展」鑑賞で見えた“祈られる天皇”の姿…今も京都で続く「玉体安穏」とは
そうしたこともあり、晩年の空海は、宮中に「真言院」という建物をたてることを許された。後七日御修法は、その真言院で営まれた。後七日とされたのは、宮中では正月のはじめの週には神事が営まれ、後七日御修法はその後の週に行われたからである。
その時期からして、後七日御修法はもっとも重要な仏事ということになる。儀式の目的は「五穀豊穣」ということもあるが、究極的には「玉体安穏」である。玉体は天皇の身体で、その無事で平穏なことを祈るものだというわけである。
835年に最初に営まれた後七日御修法で導師をつとめたのは空海自身だった。空海としては、その後も、自分が導師をつとめようと考えていたであろうが、その年の4月には亡くなってしまい、それは果たせなかった。玉体安穏を祈願する際に、その対象となるのは天皇が身につけている衣である。
その後、応仁の乱の後に中断した時期もあったが、後七日御修法は宮中でずっと営まれてきた。ところが、明治になった時点で「神仏分離」が行われ、宮中からは仏事が排除された。
そのため、1883年からは、京都にある東寺の灌頂院に場所を移して営まれるようになり、今日まで受け継がれている。その際には、勅使が派遣され、天皇の衣を供える。その光景は、「空海と真言の名宝」展ではビデオで紹介されていた。

















