「365日休まずにボールを蹴るほどサッカーに熱中しました。サッカーがあったから道をそれずにいられたのかもしれない。高校では県大会ベスト4に入り、複数の大学からスポーツ推薦の話もいただきました。でも、卒業後も続けようという気持ちはなかった。まだJリーグもなく、サッカーを軸とした将来が想像できなかったのです。何よりさまざまなノンフィクションを読むうちに、自分も社会の歪みをあぶり出すジャーナリストになりたいと思うようになっていました」
井川少年はジャーナリズムを学べる大学を受験。残念ながら不合格となるが、浪人を決意して両親を説得し、東京へ向かった。 (つづく)
(ジャーナリスト・中川明紀)