専大松戸を初の甲子園へ 持丸修一監督が明かす“苦節8年”
――指揮を執るようになって8年目の甲子園出場ですが、出られなかった7年間は長かったですか。
「今振り返ると短いですね(笑い)。私が選手を取り始めてからは5年ですから。常総時代のコーチも2人連れてきましてね。01年選抜優勝メンバーの小林と、元阪神の清原の兄なんですが……。この2人が私のような年寄りと選手の間に入ってくれたので助かりました(笑い)」
■父兄とは接触しません
――世間から見れば7年は長い。学校側はそうでなくても、OB会や父兄からは非難されませんでしたか。
「そちらも何も。OB会は『持丸さんに任せた!』ですし、父兄とは直接、接触しないようにしているんです。強豪校だとレギュラー選びに親との交渉なんてあるでしょ? そういうのは嫌なんですよ、私は。だから父母会の飲み会とかには一度も顔を出したことがありません。私のスタンスがわかっているから、向こうも誘ってこないですし(笑い)」
――プレッシャーはなかったと?
「ありましたよ。確かに『そうか、今年は行けなかったか……』と言う人でも、その後は必ず『でも来年は甲子園に行こう!』ですからねえ(苦笑い)。それが何年も続くと、こっちが重圧を感じてしまう(笑い)。私自身、歯がゆさを感じていましたから。関東大会に5年連続で出場しているのに、なぜか甲子園には出られない。勝てないのは(一度も甲子園に出ていない)松戸(という土地)のせいか!なんて言い訳をしたくなったこともある(大笑い)」