巽樹理さんの二足のわらじ シンクロ銀から33歳で大学院へ

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巽樹理さん(シンクロナイズドスイミング/2000年シドニー五輪、04年アテネ五輪銀)

「スポーツと同じで、達成したいことのためには事前の種まきが重要です。私の場合は33歳で入学した大学院時代の準備が今に実っています」

 現在、母校の追手門学院大で社会学部准教授を務める巽氏はそう語る。

 大学3年時に2000年シドニー五輪のチームで銀メダル獲得。卒業後は母校で契約職員として事務職に就きながら、04年アテネ五輪のチームでも再び銀メダルに輝いた。そこで競技人生の幕を下ろし、セカンドキャリアを歩み始めたのは24歳からだった。

「人間、やっぱりできないものを克服したいじゃないですか。大学卒業後に事務職を始めた時、ものすごくショックを受けました。私は同期に比べて、なんて事務能力が劣っているんだろうって。本当にコピーのとり方も分からなかった。スポーツの世界では秀でていたかもしれないけど、これでは社会で通用しない、かなり頑張らないとなと痛感したんです。そこでまずは社会人としての基礎力を磨きたいと思い、引退を決めたアテネ五輪後も引き続き大学に残していただきました。『職場では自分が一番の下っ端で一番未熟だ』っていう姿勢で、一から仕事を覚えていきましたね(笑い)」

 05年に結婚、07年には子宝にも恵まれた。仕事も順調で同大学の専任職員に昇格。入試広報課で主に大学案内やオープンキャンパスの準備などに精を出していたが、転機が訪れたのは13年だった。

「仕事にも慣れて手応えを感じていましたが、本来の目的は達成され、『この先も事務仕事を極めていきたいか』と自問自答したんです。考えた結果、学校の主役は学生だから、やっぱり直接、教育に携わりたい、自身の経験を社会に役立てたいという気持ちになりました。そこで、自由度が高くて幅広い活動ができる“教員”という道が見えたんです」

 13年に事務職を辞め、33歳で大阪体育大の大学院へ入学した。新しい世界へ渡る決断の裏には大きな迷いもあった。安定した収入が途絶えてしまうことに加え、子供も5歳と1歳でまだ幼い。自分の目指す道には、多くのものを犠牲にするだけの価値があるのか悩んだという。

「自分でもかなり思い切った選択だったと思いますが、幸いにも夫は応援してくれました。身内でも反対する人は誰もいなかった。後押ししてくれる環境があったことが大きいですね。しかし、自分中心ではダメです。最優先すべき一番は家庭。妻として、母として育児もそれまで以上に頑張って、やりたいことも壊さないように励みました」

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