著者のコラム一覧
岡邦行ルポライター

1949年、福島県南相馬市生まれ。ルポライター。第3回報知ドキュメント大賞受賞。著書に「伊勢湾台風―水害前線の村」など。3・11後は出身地・南相馬中心に原発禍の実態を取材し続けている。近著に「南相馬少年野球団」「大島鎌吉の東京オリンピック」

河西昌枝は顔面蒼白…長嶋の婚約で周囲は身投げを心配した

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笑みを浮かべ、懐かしそうに

「私も結婚式に招待されたけど、一番喜んだのは監督の大松(博文)さんだと思う。オリンピックで金メダルを獲得するため、河西さんを30すぎても引退させなかったしね。ただ、私に言わせれば大松さんも犠牲者だった。日紡貝塚では営繕課長の役職にあったけど、役員たちは『たかがオリンピックで金メダルを取っても、それがどうした』という扱い。それを知った奥さんは『大松を返してください!』と言っていた。たしか大松さんは、オリンピック終了2カ月後の師走に日紡貝塚を退職した。燃え尽きたんでしょうね」

 私を前にそう証言する毛利は、持参した古いアルバムを開いた。そこには河西とのツーショット写真が収められていた。

「この写真は、2008年に河西さんがバレーボール殿堂入りしたときのもの。『毛ちゃん、一緒に行こうよ』って。授賞式は東京オリンピックで金メダルを取った日と同じ10月23日。それで授賞式のときは和服がいいと考えて、私が着物の着方を教えたのね。殿堂があるアメリカ・マサチューセッツ州のホルヨークという町は、静かな落ち着いた田舎の町。河西さん、笑みを浮かべ、懐かしそうに呟いていた。『亡くなられた大松先生、元気な長嶋さんも喜んでくれていますよね』って……」

 2歳年下であった河西。彼女への毛利の思いは今も尽きない。

 2回目の東京オリンピック開催が決まったのは2013年9月8日未明。その1カ月後の10月3日だ。河西昌枝は逝った。享年80――。

▽かさい まさえ 1933年山梨県生まれ。巨摩高校卒業後に日紡に入社し、62年世界選手権金。64年東京五輪金。65年に自衛官と結婚して中村姓に。2008年にバレーボール殿堂入りを果たした。

【連載】東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン

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