著者のコラム一覧
権藤博野球評論家

1938年12月2日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年に中日入り。1年目に35勝19敗、防御率1.70という驚異的な成績を挙げ、最多勝や沢村賞などタイトルを総ナメに。連投に連投を重ねる姿に「権藤、権藤、雨、権藤」の流行語が生まれた。68年に現役引退後は各球団の投手コーチを歴任。横浜で初の監督に就任した98年にはいきなりペナントを制し、38年ぶりの日本一に導いた。

もし松坂大輔が横浜に入団していたら…チームの歴史も私の歴史も変わった

公開日: 更新日:

 松坂大輔(41)が23年間のプロ野球選手生活に幕を下ろした。

 私にも、彼とのたくさんの思い出がある。中でも、忘れられないのが、1998年11月20日のドラフトだ。

 横浜ベイスターズの監督として、その年の10月8日にチーム38年ぶりのリーグ優勝を達成。同月26日には日本シリーズで西武を下し、選手に日本一の美酒を味わわせてもらった。

 その喜びがドラフトで吹き飛んだ。

 目玉は、横浜高のエースとして甲子園春夏連覇を果たした松坂大輔。本人の意中の球団が、地元の横浜であることは知っていた。私も「数十年に一人の怪物投手」と惚れ込んでいて、まさに相思相愛。

 だが、日本ハムを含む3球団の競合の末、日本シリーズを戦った西武のトンビ東尾修監督に先に当たりくじを引かれた。後日、油揚げをさらっていった畏友のトンビと飲んだ際、「権藤さん、日本一を逃すのと、松坂を取り逃がすのと、どっちがよかった?」と聞かれ、

「日本一は来年も再来年もチャンスがある。でも松坂という逸材は今年だけ。まあ、日本一も松坂も逃しとったら、これはもう目も当てられんけどな。オレはクビになっとったよ」

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    日本ハムが新庄監督の権限剥奪 フロント主導に逆戻りで有原航平・西川遥輝の獲得にも沈黙中

  2. 2

    白鵬のつくづくトホホな短慮ぶり 相撲協会は本気で「宮城野部屋再興」を考えていた 

  3. 3

    DeNA三浦監督まさかの退団劇の舞台裏 フロントの現場介入にウンザリ、「よく5年も我慢」の声

  4. 4

    藤川阪神の日本シリーズ敗戦の内幕 「こんなチームでは勝てませんよ!」会議室で怒声が響いた

  5. 5

    佳子さま“ギリシャフィーバー”束の間「婚約内定近し」の噂…スクープ合戦の火ブタが切られた

  1. 6

    半世紀前のこの国で夢のような音楽が本当につくられていた

  2. 7

    生田絵梨花は中学校まで文京区の公立で学び、東京音大付属に進学 高3で乃木坂46を一時活動休止の背景

  3. 8

    武田鉄矢「水戸黄門」が7年ぶり2時間SPで復活! 一行が目指すは輪島・金沢

  4. 9

    田原俊彦「姉妹は塾なし」…苦しい家計を母が支えて山梨県立甲府工業高校土木科を無事卒業

  5. 10

    プロスカウトも把握 高校球界で横行するサイン盗みの実情