【私と五輪】5大会出場で今も現役 アーチェリー山本博「04年アテネでは公衆電話の行列が…」

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山本博(アーチェリー/1984年ロサンゼルス銅、2004年アテネ銀)

 東京五輪では2つの銅メダルを獲得したアーチェリー。斯界を長らく牽引してきたのが、今も現役で選手として活躍する山本博(61)だ。銅メダルを獲得した1984年ロサンゼルス大会をはじめ五輪5大会に出場。アテネで銀メダルに輝き、日本におけるアーチェリーの認知度を上げたパイオニアに当時を振り返ってもらった。

■84年ロスでは日本製のゲームに人だかり

 初めての五輪が84年のロサンゼルス大会。印象的だったのはやはり開会式のロケットマンです。スタジアムの中でロケットを背中に積んだ人間が空中遊泳して着陸するっていうのは、とても衝撃的なシーンでしたね。

 選手村の中で人だかりができているからなんだろうと思って見に行ったら、米国の陸上選手、カール・ルイスがいた。テレビでしか見ることのできない海外の有名選手と共に選手村で過ごせたのは非常に刺激的でした。

 選手村の設備の充実ぶりにも驚きましたね。郵便物の送料以外は全て無料で、ランドリーやカットサロンもタダ。ロス五輪では中国の女子選手が「無料でパーマネントしてくれる」と知って、みんなこぞってパーマをかけに行っていました。特に注文もしないから、みんな同じ髪形になっていくのが印象的でした。

 選手村にはゲームセンターもありましたね。日本企業の機械ばかりが置いてあって、当時はちょうど「オリンピックゲーム」というのが日本ではやっていた。オリンピック選手がオリンピックゲームをやるわけですが、ものすごく並んでいていつも満員。アスリートは力が強いから機械がすぐ壊れてね。ボタンを思いきり押すもんだからボタンがヘコんだままになって、結構メンテナンスが大変だったと思います。

 2004年のアテネの頃になるとインターネットが普及し、かつて選手村で行列をつくっていた公衆電話も、誰も並ばなくなっちゃった。自分の記憶では初めて出た五輪の時、KDDIが出場選手に1万円分の電話ができるパスコードを配布するサービスもあった。今はどこにいても家族や恋人とコミュニケーションを取れますが、昔は選手村から手紙を書いて出していました。私もバルセロナぐらいまでは書いていましたね。96年のアトランタぐらいから、外国選手たちがSkypeをやり出して衝撃を受けた記憶があります。日本はまだ遅れていて、海外ローミングも高いからと、何本もまとめてメールを作って保存してからネットに接続して一斉送信していました。

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