“球界の天皇”のメンツを丸潰れにした入団拒否事件…「契約金1.5億円」「生涯身分保障」まで蹴った
「車のトランクに入って岐阜まで行ったけど、アカンかった」
小池側は事前に、希望球団(巨人、ヤクルト、西武)を明示し、同時に「行きたくない球団」として6球団を挙げ、その中にロッテも含まれていた。よりによって、そのチームに……。会見場を後にした小池は、そのまま雲隠れ状態になった。
ロッテはこの年、金田を再度監督に招いたが5位に沈んだ。その上、エースの村田兆治が現役を引退。小池指名で投手陣強化を図ったのだが、ロッテ本社は「会社のイメージ低下」を恐れ、冒頭の2大条件を明らかにする慌てようだった。
指名は金田の独断。その責任を痛感したのだろう、信じられない行動に出た。いつ小池側に会えるか、とマークするメディアの裏をかいた。その模様を後年、金田に尋ねると……。
「ワシな、車のトランクに入って(小池の実家がある)岐阜まで行った。マスコミから隠れるようにしてな。実家に行って話をしたけど、アカンかった。ワシと同じ左投げや。一流ピッチャーにしてやる、と言ってもダメやった」
そして、「縁がなかった、と諦めた」。
天下の長嶋茂雄、王貞治を呼び捨てに出来る金田にはメンツがあった。学生ごときに……と。若き日、国鉄の、プロ野球のエースとして、学校を卒業したての新人のONをともに初打席で三振に切って取った。その“球界の天皇”が面目丸つぶれだった。
小池は松下電器に入社し、92年にドラフト1位で近鉄入り。97年に15勝で最多勝のタイトルを取ったが、一瞬の輝きだった。通算51勝47敗。期待の半分にも満たない成績に終わった。



















