「よからぬ商売」で大儲け “稀なるフィクサー”小西得郎は粋筋の置屋から3球団の監督を歴任した
上海でボロ儲け、芸者置き屋の旦那、闇屋の親分……。こんな人物がプロ野球3球団で監督を務め、しかも優勝した。小柄だが、江戸っ子できっぷがいい。付き合いは経済人から政治家、芸能界、それに街のボスとやたらと広かった。
その名は小西得郎。プロ野球がセ・パ2リーグになった1950(昭和25)年、松竹ロビンスをセ初優勝に導いたことで知られる。実は混乱時代に“顔”を使ってさまざまな出来事にかかわり、裏面史では「稀なるフィクサー」。ロシア文学専攻の京都帝国大学(現京都大)の教授を父親に持つ秀才だった。
難関の第三高等学校に合格したものの、「野球がやりたかった」と明大へ。第8代主将として神宮でプレーした。
卒業して造船会社に勤めたのも束の間、退社すると友人と上海へ渡り、本人によれば「よからぬ商売」で大儲けしたそうである。
帰国後、その資金で東京・新橋のビルの一室で合金などを扱う会社を立ち上げた。進駐軍の物資販売に絡み、自ら「闇屋の親分みたいなもの」。戦後のことである。


















