球界改革の絶好機が消滅 幻に終わった“現場出身”西本幸雄のパ・リーグ会長就任
パが動けばセ会長に川上哲治、王貞治
福島は東京帝国大(東大)から外務省に入り、ロサンゼルス総領事に。のち共同通信、ジャパンタイムズ社長などを務めた。米国時代に大リーグを知り、ア・リーグ会長に現場出身のジョー・クローニンが就いたことを知っており、その効果を学んでいた。クローニンは遊撃手として活躍、レッドソックスの監督としても実績を残しており、殿堂入りしている。
西本は立大、社会人を経験し、プロ野球の監督として実績を上げた。大毎、阪急、近鉄を優勝に導いた指導力が高く評価された。一本筋が通った人物で、大毎時代にはオーナー永田雅一と衝突して退団。阪急では監督信任投票をやってのけた。パ・リーグひと筋の野球人だった。
福島と西本は東京・港区のホテルオークラで会った。西本が関西の兵庫県宝塚から上京し、2人は1時間ほど話し合った。西本は「要請は理解した」としたものの、住まいは関西、「東京での仕事は難しい」と辞退した。真面目な西本はリーグを引っ張ることは困難と考えたのだ。
もし、西本がパ・リーグ会長に就任していたらセ・リーグ会長には巨人9連覇の監督だった川上哲治の可能性があった。2人は、福島が大リーグの野球協約を翻訳してプロ野球にルールを固定したことを知っており、川上は野球殿堂特別表彰委員会議長のときに「福島さんなくして現在のプロ野球はない」と力説、殿堂入りのメンバーに推薦した。
後年、現役時代に超大物だった元選手が全国紙上で「王貞治をコミッショナーに」と提案したことがある。あの時、西本が会長を引き受けていたら、王コミッショナーも実現したかもしれない、と思う。



















