南海・野村克也監督が「もし森本がいたら…」と述懐、パの歴史を変えた9.23造反事件
しかし、この造反劇は森本の現役時代、「たった一度の反乱」だった。したがって、過去の新聞・雑誌に書かれたような「上田利治コーチとの確執」や「上田監督時代も造反事件があった」といった類の記事はすべて事実無根である。
では、なぜこのような誤報が伝播されたのか。推測すると、73年9月23日のダブルヘッダー第2試合に森本が無断帰宅した後、翌日には「無期限自宅謹慎」の処分が下され、本人には一切取材ができなかったことに起因するのではないだろうか。
現役時代から解説者時代も記者と親しく接するようなタイプではなかったという。そんなスタンスも記者連中から反感を買って、根も葉もない噂話に尾鰭が付いたネタを記事にされたのではないか。森本の謹慎処分は波紋を呼び、当時子どもたちに流行していたお菓子の付録の野球カードの選手紹介文にまで、「ファンも心配している」などと書かれていたほどだった。
この年はパ・リーグに前・後期制が導入され、前期は4月に6連敗するなどスタートダッシュにつまずき、3位に終わった。優勝は南海ホークス。後期は開幕5連勝、8月からは14連勝と例年通りの力を発揮し、独走優勝を決めた。プレーオフ元年は南海との決戦となるが、後期の南海との対戦成績は12勝1分けと全勝。「1勝もできなかった南海が阪急に勝てるわけがない」と予想されていた。前・後期ともに2位と善戦したロッテ・金田正一監督でさえ「阪急が有利。3勝1敗ぐらいで勝つのでは」とコメントを残していた。


















