星野監督は本当に俺のことが嫌いだったんだろうなと思った 楽天退団時に耳にした“激怒”の一件
「引退後は楽天で指導者になって、いずれは監督になりたい」
仙台に来てしばらくしてから、そう思っていた。楽天球団創設から7年。すぐに辞めるつもりが、気づけば仙台が第二の故郷になった。
星野仙一監督も俺が球団の功労者であることを認め、「俺の下で帝王学を学べ」と指導者への道筋をつけてくれた。にもかかわらず、その気遣いをなぜ突っぱねたのか。
楽天ができたばかりの弱小球団だった頃。先輩に対する態度、野球に対するプロ意識、練習に取り組む姿勢……ありとあらゆることを若い選手たちに厳しく言ってきた。
それなのに、俺が星野監督に媚を売ってコーチになったら、若手たちはどう思うだろう。説得力がゼロになる。
「何だ、今まであんなに散々言っといて、武司さんも結局は(他のコーチと)一緒じゃないか」
そう思われるのだけは嫌だった。だから、引退してすぐ楽天でコーチになることだけはできなかった。
もうひとつ、ひっかかることがあった。球団からコーチを打診された際、「ちなみに、(コーチは)どこのポジションでお考えですか」と尋ねた。最低でも一軍打撃コーチかな、なんて思っていたが、返ってきた答えは「それは……まだ決まっていない」。これはアカンなと思った。口ではコーチになってくれと言いつつ、ノープランなのだとすぐに悟った。


















