「パンダがいなくなった白浜」飼育スタッフが明かす30年の繁殖秘話と“いつか戻る日”への思い
パンダがいなくなった白浜から、その記憶と技術を未来へ──。アドベンチャーワールドが30年以上にわたって築いてきたパンダ繁殖の歴史や、飼育スタッフだからこそ知る出産・子育ての舞台裏。永明や良浜をはじめ、多くの命をつないできた「パンダファミリー」の軌跡を振り返る。(本記事は、1月23日に約400人のパンダファンが集まり、東京で開催されたイベント「パンダdeナイト」の内容をもとに再編集したものです)
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和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドで暮らしていたパンダファミリーの30年にわたる軌跡を、飼育スタッフの吉田倫子さん、パンダ好きでも知られるモデル・タレントのはなさんを迎えて振り返った。イベントでは吉田さんが「ジャイアントパンダとつないだ奇跡、そして未来へ」をテーマに講演。1994年から30年以上、パンダの保護と繁殖を続けてきた同パークが、パンダの基礎知識を学び、飼育に手応えを感じるまでの経験を語った。
「1988年に私たちが『ハチハチパンダ』と呼んでいる2頭のパンダ(シンシン、ケイケイ)がアドベンチャーワールドにやってきました。ケイケイはメスのパンダで、帰国後に4回の出産で7頭の子どもを産み育てました。また、入れ替え保育という方法で双子を育てた初めてのパンダでもあります」
その後、94年に世界初のブリーディングローン制度によって永明と蓉浜(ようひん)が来園。
「選ばれた背景には、チーターやペンギンなど希少動物の繁殖実績が多数あったこと、そして白浜の自然環境が豊かだったことが挙げられます。実は、1988年に来園したシンシンとケイケイは体調があまり良くなかったそうですが、白浜での3か月の滞在で体調が回復して帰国したといわれています。水や空気がきれいで、竹も栄養豊富だったことが理由だと考えられています」
ブリーディングローンとは、動物の繁殖を目的とした園館同士の交換制度で、日本国内だけでなく海外との間でも行われる。パンダではこれが初めての事例だった。
当時、開港してまだ3日目だった関西国際空港に、永明たちは初めてのVIPとして到着した。一緒に来園した蓉浜の生みの親は「美美(メイメイ)」というパンダだが、出産直後に体調を崩し、子育てができなくなったため、蓉浜を育てたのがケイケイだった。
ケイケイは当時3回目の出産で、自身の双子と蓉浜の計3頭を、飼育スタッフのサポートを受けながら立派に育て上げたという。

















