江戸時代には「母乳」という言葉はなかった

公開日: 更新日:

 母乳ミルク論争というのをご存じだろうか。ネットを中心に、自分の産んだ子を母乳で育てるのがよいか、それともミルク(人工乳)のほうがよいかをめぐって、さまざまな論議が交わされている。

 もっともこの論争は新しいものではなく、日本では大正時代に母乳信仰ともいうべき母乳に対する高い評価が喧伝されて以来、形を変えて現在に持ち越されている問題なのだ。しかも、「母乳」という言葉自体、案外に新しく、江戸時代にはなかったという。

 沢山美果子の「江戸の乳と子ども――いのちをつなぐ」は、そんな母と切り離された「乳」に焦点を当てて、江戸時代の人々がどのように子どもを産み育ててきたのかを教えてくれる。

 成人女性の死因の4分の1が産後死、難産死で、生まれた子どもが成人まで育つ確率が2分の1という時代にあって、子どもを産み育てるのはまさに命懸けで、その命綱となるのが乳だ。とはいえ、養子や産後に母親が亡くなってしまった場合、母から直接、乳を与えることは不可能だし、乳が十分に出ない女性も少なからずいる。となれば近隣の女性からの「もらい乳」や授乳専用の雇い人「乳持ち奉公」といった形で他人の乳が必要となり、乳の売買も出現する。また農村では、女性の労働力確保のために、3歳過ぎまで授乳させてバースコントロールを図る慣習もあったという。

 先の母乳ミルク論争とはまた別に、高齢出産で母乳が出にくいという悩みもネット上で散見される。何となく「母乳」という言葉を当たり前のように使っているが、母乳以前の「乳」の歴史を知ることで、これらの問題の違った側面が見えてくるのではないか。江戸時代のゴミのリサイクルの模様をつづった伊藤好一の「江戸の夢の島」が、東京のゴミ問題に一石を投じたように、この「乳の歴史」が論争に新しい風を吹き込むといいのだけれど。〈狸〉

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    阪神・梅野がFA流出危機!チーム内外で波紋呼ぶ起用法…優勝M点灯も“蟻の一穴”になりかねないモチベーション低下

  2. 2

    梅野隆太郎は崖っぷち…阪神顧問・岡田彰布氏が指摘した「坂本誠志郎で捕手一本化」の裏側

  3. 3

    「高市早苗首相」誕生睨み復権狙い…旧安倍派幹部“オレがオレが”の露出増で主導権争いの醜悪

  4. 4

    巨人・戸郷翔征は「新妻」が不振の原因だった? FA加入の甲斐拓也と“別れて”から2連勝

  5. 5

    国民民主党「選挙違反疑惑」女性議員“首切り”カウントダウン…玉木代表ようやく「厳正処分」言及

  1. 6

    時効だから言うが…巨人は俺への「必ず1、2位で指名する」の“確約”を反故にした

  2. 7

    パナソニックHDが1万人削減へ…営業利益18%増4265億円の黒字でもリストラ急ぐ理由

  3. 8

    ドジャース大谷翔平が3年連続本塁打王と引き換えに更新しそうな「自己ワースト記録」

  4. 9

    デマと誹謗中傷で混乱続く兵庫県政…記者が斎藤元彦県知事に「職員、県議が萎縮」と異例の訴え

  5. 10

    阪神に「ポスティングで戦力外」の好循環…藤浪晋太郎&青柳晃洋が他球団流出も波風立たず