「髙田賢三自伝夢の回想録」髙田賢三著

公開日: 更新日:

 パリで自分のブランド「KENZO」を立ち上げ、世界に名を馳せたファッションデザイナー、髙田賢三は、正真正銘のパイオニアだった。

 1939年、姫路市生まれ。18歳のとき、文化服装学院が「男子の洋裁学校生」を初めて募集していることを知って上京する。コシノジュンコら才能あふれる同期生と切磋琢磨し、本気で遊びまくった。時代が動き、何かが始まろうとしていた。

 卒業後、三愛に勤めたが、半年間の休暇を願い出て、1965年に渡仏。安ホテルで質素な生活をしながら、デザイン画を描いては雑誌社やブティックに売り込んだ。明るく斬新なデザインと、人の心をつかむ愛されキャラと、物おじしない行動力が、新しい地平を切り開いていく。

 パリのモード界は富裕層相手のオートクチュールから、量産できるプレタポルテへ、大きく流れを変えようとしていた。会社を辞め、パリにとどまったケンゾーは、追い風に乗った。自分の店を開き、自由奔放に作りたい服を作った。本物の白馬や象が登場するファッションショーは喝采を浴びた。イヴ・サンローラン、カール・ラガーフェルドといったデザイナーと友達になり、世界のセレブたちとクラブで踊り明かす。恋もした。モード界のミューズと呼ばれた美しいモデル、ルル。知性豊かな貴族グザビエ。ケンゾーの恋は男女を超越していた。

 めくるめく70年代が過ぎると、人生が陰りを帯びてくる。有能な共同経営者との決別、監督した映画の失敗、パリの本店の火事。90年には人生のパートナー、グザビエと死別。その3年後、すべての株を売却し、自分がつくったブランドを手放した。

 創造と経営の間で悩み苦しんだ歳月を経て、80歳に近づきつつあるケンゾーは、夢も冒険心も失っていない。近影の表情には、全力で生きてきた人のすがすがしさがある。

(日本経済新聞出版社 1900円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    名球会入り条件「200勝投手」は絶滅危機…巨人・田中将大でもプロ19年で四苦八苦

  2. 2

    永野芽郁に貼られた「悪女」のレッテル…共演者キラー超えて、今後は“共演NG”続出不可避

  3. 3

    落合監督は投手起用に一切ノータッチ。全面的に任せられたオレはやりがいと緊張感があった

  4. 4

    07年日本S、落合監督とオレが完全試合継続中の山井を八回で降板させた本当の理由(上)

  5. 5

    巨人キャベッジが“舐めプ”から一転…阿部監督ブチギレで襟を正した本当の理由

  1. 6

    今思えばあの時から…落合博満さんが“秘密主義”になったワケ

  2. 7

    巨人・田中将大が好投しても勝てないワケ…“天敵”がズバリ指摘「全然悪くない。ただ…」

  3. 8

    高市早苗氏が必死のイメチェン!「裏金議員隠し」と「ほんわかメーク」で打倒進次郎氏にメラメラ

  4. 9

    世界陸上「前髪あり」今田美桜にファンがうなる 「中森明菜の若かりし頃を彷彿」の相似性

  5. 10

    三角関係報道で蘇った坂口健太郎の"超マメ男"ぶり 永野芽郁を虜…高畑充希の誕生日に手渡した大きな花束