「エレガンス」石川智健氏
「エレガンス」石川智健氏
若い女性の連続不審死をめぐるミステリーの舞台は80年前の東京。連日連夜B29が飛来する戦時下、4人の女性の自殺が相次いで報じられた。4人とも裂いたシーツで首を吊り、花冠のような長いスカートをまとっていたため“釣鐘草の衝動”と呼ばれた。どの遺体も美しかった。
自殺だとしたら理由は何か。捜査に動いたのは、内務省防犯課の技師・吉川澄一と、警視庁写真室の石川光陽。2人とも実在した人物である。史実と虚構、戦時下のリアルとミステリーの融合を試みた意欲作だ。
「小説家になるずっと前、祖父から戦争の話を聞いていたんです。祖父は背が低かったので徴兵されませんでしたが、当時の話を聞きながら、いつか戦争を書こう、書くなら銃後のことを書きたいと思うようになりました」
その後、ミステリー作家となり、戦後80年のこの夏、本作を発表した。準備には時間をかけた。多くの資料を読み込むうちに、戦時下の諸相が見えてきた。出版物の統制・検閲、隣組による相互監視、質素倹約を強いられる日常。モンペが女性の標準服とされ、お洒落をしていると非国民といわれた。息苦しい時代だった。
「そんな時代でも、パーマと洋装を貫こうとした女性たちがいたことを知って、物語の大きな柱になりました。彼女たちは戦争に反対したわけではなくて、美しくいたかっただけです。自分らしくあろうとしたことが、結果として世間への抵抗になりました。空気を読まずに思いのまま生きた人たちがいたことを、書いておきたかったんです」
戦時下でエレガンスを求めた女性たちが、作中で蘇る。自殺した4人の共通点は、地方から上京し、最先端の洋裁学院に通っていたこと。未来を見て学んでいた彼女たちが死を選ぶだろうか。鑑識の専門家である吉川は、首の小さな傷痕から他殺を疑う。光陽は自殺説だったが、ほどなく5人目の遺体が見つかった。
捜査が進み、真相に近づくにつれて空襲は激しさを増していく。光陽は愛用のライカを手に焼け焦げた東京を歩き回る。
そしてあの日がやってきた。1945年3月10日、東京大空襲。光陽は焼夷弾をかいくぐり、炎と煙のなか、命がけでシャッターを切り続ける。物語の中で史実と虚構が交錯する。
「光陽はファインダー越しに無数の死を直視しました。自分が記録しなければ、この惨事が矮小化され、なかったことにされてしまうかもしれない。光陽は写真を撮ることで抵抗したんだと思います。光陽が見たものから目を背けてはいけないという気持ちで書いたので、きつかったですね。書いてて5キロやせました」
女性たちの死の意外な真相にたどりついた後、読者は登場人物とともに東京大空襲のただ中に放り込まれる。さほど遠くない昔、東京の下町で、こんなことが本当にあったのだ。ミステリー仕立てで描いた銃後の世界。声高に反戦を唱えるのではなく、「こういう世界があったことを想像してみよう」と、読者に強く語りかけてくる。 (河出書房新社 2178円)
▽石川智健(いしかわ・ともたけ)1985年神奈川県生まれ。2011年に「グレイメン」でゴールデン・エレファント賞大賞を受賞。翌年、同作が日米韓で刊行され、作家デビュー。「エウレカの確率 経済学捜査員 伏見真守」「60 誤判対策室」「小鳥冬馬の心像」「ため息に溺れる」「キリングクラブ」「断罪 悪は夏の底に」など著書多数。企業に勤めながら兼業作家として執筆活動を続けている。