「あしたのジョー」は講談社内でも、早く読みたいとゲラの奪い合いだった
当時の内田勝編集長は、「マンガ1ページには1万字の情報が詰まっている」とインタビューなどで答えていたが、私がいた週刊現代や月刊現代では、「そんなものかね~」と聞き流していた。
内田編集長は、平安末期の飢饉を舞台に人間の業を描き物議を醸したジョージ秋山の「アシュラ」のモデルといわれた。さぞおっかない人だと思っていたが、その後、月刊現代の編集長として、私の上司になった。顔はやや“アシュラ顔”だったが、話し好きの気さくな人だった。
局長もマガジンを大部数に押し上げた初代編集長・牧野武朗だったから、当時もマガジン出身は出世コースだったようだ。
それまでは画(え)もストーリーもマンガ家と編集者が知恵を絞って考え、編集者がマンガ家の家に泊まり込むことも珍しくはなかった。
そのためだろう、女性のマンガ家と結婚する編集者が何人かいた。私の1年先輩が、当時の超売れっ子女性マンガ家と結婚したのを“妬ましく”思ったこともあった。
だが、牧野は、こうしたやり方では人気のあるマンガを次々に生み出せないと危機感を持ち、原作者というやり方を導入した人だった。


















