夏目漱石は野球をどう見ていた? 明治の文豪が残したユーモアたっぷりの珍解説
令和の日本野球界は大リーグブームだ。大谷翔平の活躍を機にプロもアマも「大リーグでプレーしたい」という選手が増加している。社会人、大学生どころか高校生までがプロ野球を経ずに太平洋を渡ろうと意気込む。
日本選手が憧れる米国に対して「突飛な事ばかり考え出す国柄」と言い切り、野球について「ダムダム弾を擂粉木(すりこぎ)の大きな奴を持って敵中に発射する仕掛けである」と書き残したのが文豪の誉れ高い夏目漱石だった。
英国留学から1903(明治36)年に帰国すると、現在の東京・文京区に住んだ。隣が郁文館中学。ここで野球を初めて目撃した。その感想を「吾輩は猫である」の中で、吾輩が見た野球をつらつら記している。
その頃の野球は一高が強く、各校が「打倒一高」を目指していた。郁文館もその一つで、激しい練習を重ねた。打球がしばしば漱石宅の庭に飛び込んできた。ボール捜しの学生が無断で庭に入り込み、何度かやり合ったという。
野球のボールを「ダムダム弾」と称したのは留学先が絡んでいた。「ダムダム弾」とは、英国がインドで植民地での反乱を鎮圧するときに使った銃弾のことである。コルカタ郊外のダムダム地区のあった工場で製造していたところからそう呼ばれていた。


















