妻の一言がなければ…プロレスラーの高橋匡哉さん難病「スティーブンス・ジョンソン症候群」との闘い

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再発してプロレス復帰までに半年かかった

 入院してしばらくはほぼ寝たきりでした。解熱剤で熱を下げても薬が切れるとすぐ上がってしまうし、食事は自分にとっては少量。何が引き金になるかわからないので差し入れのお菓子も禁止されて、90キロあった体重は退院時には80キロを切っていました。

 でも、退院が近づいた頃には筋トレをやってました。子供の頃からじっとしているのが苦手なのです。動かないと思考がどんどんネガティブになることも入院をしてみて実感しました。

 11月20日に入院して、初めは年内いっぱい入院という話だったのに、院内にコロナ患者が増えてしまったので2週間で退院させられました。ステロイドは免疫力を下げてしまうため感染しやすく、これ以上、病院にいては危険だという判断でした。

 その後は自宅からの通院。2~3カ月で日常生活はできるようになりましたが、マスクを4重ぐらいにして過ごしました。

 プロレス復帰までに半年かかったのは、途中で再発してしまったからです。ステロイドは徐々に減らしていかなければいけない薬なのですが、減らしたタイミングで一度ぶり返してしまったんですよね。

 病気の原因は不明です。遺伝的に一定の薬剤に反応して発症してしまうという説や、ウイルス感染説など複数あります。ただ、自分は遺伝でもないし、最初にもらった風邪薬でもないことまでははっきりしました。「本気で原因を突き止めるには、体の血液を半分使うくらい可能性をひとつひとつ調べないとわからない」と言われたので、それ以上調べる気はありません。

 再発の怖さもありますけれど、悔いは残したくないと思ってプロレスに復帰しました。いつまでできるかわかりませんが、元気なうちはやりたいことをやって、子供たちに父の背中を見せたいと思っています。プロレスの試合はほぼ毎週末。それだけでは収入が不安定なので、今は朝3~4時に起きてトレーニングをして、その後は夕方まで普通の仕事をしています。

 普通と言っても、座ってじっとしているなんて自分にはできないですから、平日も肉体を使っています(笑)。

 (聞き手=松永詠美子)

▽高橋匡哉(たかはし・まさや) 1986年、東京都出身。25歳で会社員を辞め、2012年にプロレスデビュー。WNC、ASUKA PROJECTを経て、17年に大日本プロレスに移籍。同年、「一騎当千デスマッチサバイバー」で優勝。「BJW認定デスマッチヘビー級」では第35代、第37代の王座に輝く。9月14日(日)「後楽園ホール大会」(東京・文京区)に出場予定。

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