(48)父の命日…1年経って、ようやくわかったこと
ようやく見る気になったアルバムや日記をめくるうち、「あっ」と声が出て、思いがけず大きな気づきが訪れた。
父が死んだという事実に、この1年間、私はあまりにもとらわれていたのではないか。父は、確かにこの世に生きていた。死んだ人ではない。それまでの人生を生きてきた人、なのだ。
写真のなかで笑う私の知らない青年の父は、青春を謳歌し、仕事に悩み、友人に囲まれながら、確かに生きていた。その記録は、いなくなったあとも、色あせずに残っていた。
「父は死んだのではなく、生きてきたのだ」
その揺るぎない事実は、死をもって消えてしまうものではない。
気づけてよかった。父に、ありがとうと心のなかで感謝した。私はこれからも生きてゆくしかない。父がかつてそうしていたように、私もまた、もがきながら。 (つづく)
▽如月サラ エッセイスト。東京で猫5匹と暮らす。認知症の熊本の母親を遠距離介護中。著書に父親の孤独死の顛末をつづった「父がひとりで死んでいた」。



















