二重声になってもうダメだと…尾崎亜美さん声帯嚢胞の切除手術を振り返る
今はこの声を大事に育てたい
術後3週間が過ぎて、本気のハミングがOKになると、だいぶ高い音まで出せたので安堵しました。喉は高音をつかさどる筋肉から先に回復するのだそうです。ただ、さらに1週間後、歌詞をつけて歌い始めたら中音域が全然出せないことに愕然としました。特に「え段」が厳しくて、復帰までの道のりの遠さを実感しました。
でも、以前から知人と約束していたこぢんまりとしたライブが富山で2~3カ月後にありました。不安でしたが、やってみたら予想よりうまくいきまして、このまま順調に回復する希望が持てました。
ですが、本当に大変だったのはそこからです。ウオーミングアップがちょっとでもうまくいかないと声が出なくて、先生に「人前で歌えないです」と訴えました。すると「ライブが一番のリハビリです。つらいかもしれないけれど、ライブをどんどんやってください」と言われました。新しい声帯に学習させる期間が必要だということでした。
本当は「手術をしたから……」なんて言い訳をしながらライブをしたくなかったのですが、温かいファンの方々と仲間の愛に支えられて、本番をひとつひとつ重ね、良かったり悪かったりしながら、年々上向いてきています。去年は先生から「シャウト」も許可されましたし、つい先日は「嚢胞の傷としてはもう治っているから、あとは慣れ。自分が一番出しやすい道筋を学んでいくだけです」とおっしゃっていただきました。
「いつ『やめる』って言うかと思った」と夫の小原礼が口にしたくらい、悔しくて悲しい時間が長かったですけど、今はこの声を大事に育てたい。昔のように強い喉ではなくなったけれど、今の声で表現できることを増やしたいと思っています。
じつは私、デビューしてから腎臓結石や風邪薬を飲んだことによる肝機能障害など、いろんな病気で10回以上入院しているんです。だから、病気の人への理解はあるほうだと思ってきました。今回は自分の声と向き合うことでまたひとつ“痛みのデータ”の蓄積が増えましたから、さらに人の痛みに対して思いが深まったかなぁと自負しています。
そんな私も来年はデビュー50周年。これからの歌の人生も長くありたいと思っています。
(聞き手=松永詠美子)
▽尾崎亜美(おざき・あみ) 1957年、京都市出身。76年「冥想/冬のポスター」でレコードデビューして以来、ライブを中心に活動。一方で南沙織「春の予感」、杏里「オリビアを聴きながら」、高橋真梨子「あなたの空を翔びたい」など数々の楽曲を提供している。2026年10月10日には「尾崎亜美デビュー50周年記念コンサート」(東京国際フォーラムC)が予定されている。
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