「話せばわかる」ではなく「話せばもめる」…あえて“伝えない”ことの重要性
お互い「通じてないな」と感じることは多いと思います。いや、そもそも厳密には人同士、わかり合えないもの、と考える方がいいのかも知れません。そこから信頼と理解が生まれる、いや互いの努力で生み出していくのだと思います。
言葉は表面上の意味しか持たない、お歳暮の熨斗紙なのです。
シドニーの小児病院で働いているとき、同僚のチョー優秀な小児内科医と組んで患者さんを診ていました。患者さんの前で彼女と「どういうクスリを使うべきか、やめるべきか?」「処置はすぐ必要か?」など話し合うのですが、最初はよく聞き取れない言葉がありましたが、しばらくすると平気で意思疎通していました。
何を言っているのか意味はわかるのに、それぞれのフレーズを英単語、英文として認識しませんでした。彼女の会話をいちいち英単語にしないことで、会話がスムーズになったのです。このとき私は言葉とはそういうものだと理解しました。
冒頭の映画が伝える「伝えたいことはその人の日常の普段のありようで、普通にしていれば伝わるものだ」を実体験したのだと思います。それがたとえ伝えなければならないこと、伝えたいことであっても、あえて「伝えない」。これも重要だと思います。


















