「金持ちになりたい」と願って株で億万長者になった男<後>
高沢健太さん(株式投資家)後編
3年前、40歳の時に株式投資を始め、わずか1年半あまりで1億円以上の利益を得た高沢健太さん。しかしそれまでの10年間は「人生のドン底」だったという。
30歳の時にだまされてサラ金で2000万円を借金。返済するために大手企業を辞め、割のいい自動車販売会社で働いた。しかし休みがほとんどないブラック企業。35歳の時に起こった東日本大震災を機に生命保険会社に転職した。
借金100万円が最初の元手 あっという間に24万円のマイナス
「お金の勉強をしながら報酬がもらえて、しかも人に喜んでもらえる仕事だったからです。仕事は楽しく、それなりに稼ぐことができたのですが、借金の月々の返済額は40万円。利子分だけで元本はいっこうに減らない状態。本当はダメだったのですが、アルバイトを掛け持ちし、朝に新聞配達、昼の保険の仕事の後は居酒屋、深夜の牛丼屋などで働きました。当時の平均睡眠時間は1~2時間でした」
そんなある日、長男が高校受験をすることに。希望する私立は学費が高い。
「これからもっと学費がかかるし、アルバイトを掛け持ちするのも体力的に限界。もっと効率よく稼ぎたいと思いました」
いろいろ試したが、アフィリエイトは金になるのに時間がかかるし、FXは上下する根拠が分かりにく過ぎる。結局、株式投資を始めることにした。
「株は会社という実体があり、数字に根拠があると思えたからです。それにアベノミクスが始まって、株で儲けている人がたくさんいましたからね」
しかし株に関する知識はゼロ。とりあえず、株取引を指南してくれる学校に少し通い、100万円を元手にトレードを始めた。
「その100万も手元にあった余裕資金じゃありません。とある“緑の看板”で借りたものです。それで何とか借金だけは返済したいと、ワラにもすがる思いでした。しかし、あっという間に24万円のマイナス。株はそんなに甘いもんじゃないと痛感しましたね」
結局24万円の損切り。いきなり資産を減らしたことで、ギャンブルではなく安定的に収入を得るには、「大儲けするより負けないことが大事」と思い至ったという。
「そのためには、運や成り行き任せではなく、しっかりとした理論を立てて取引しないといけません。手始めに用語をしっかり勉強しました。そして毎日チャートを見て、株日記をつけることに。これという10名柄を選び、前の日の始値、終値、高値、安値、出来高などを一覧表に書き込んだのです」
それを半年ほど続けたら、ある法則を見つけたという。詳しくは高沢さんの著書「億トレ投資法」(クローバー出版)を読んで欲しいが、それを元に“負けない投資法”を確立したという。
「大事な心得は、わずかでも儲けは儲け、コツコツ稼ぐのが正解ということ。皆さんは一気に自己資金を増やそうと大儲けを目指しますが、私は極端な話、売り時だと思えば、1000円の利益でも確定させます。損するよりマシですし、チリも積もればですから」
確かに1日1万円の勝ちでも、株式市場は月に20日稼働するから1カ月で20万円。サラリーマンの副収入としては十分だろう。
ではどうすれば、負けない投資ができるのか。カギを握るのは“メンタル”だという。
「どれだけ論理的にトレードしようと思っても、刻々と動くチャートを見ていると心が揺れます。本当はここが売り時だろうけど、少し待ったらもっと上がるんじゃないか、逆にもっと下がって安く買えるんじゃないか……と。でもそういう時ほど、一転株価が下がって思ったより安い株価で手放したり、買うタイミングを逃して儲け損ねたりします。“感情”と“勘定”は別。欲を捨て冷静に取引することが肝心です。“買う時はまだまだ、売る時はもういい”と覚えておいてください」
そうやって1年半あまりで1億円以上の利益を上げた高沢さん。借金も返し、会社も辞めて株一本で食えるようになった。
現在、総保有資産は数億円だという。それでも「調子には乗れない」と兜の緒を締める。
「いつドン底に戻るかと思うと不安ですから……。でも株に出合って人生が変わりました。諦めなければチャンスは来るんです。それを今、諦めかけている多くの人たちに伝えたいですね」
ドン底でも諦めずに富を手にした高沢さん。人生でも、“負けない”ことが大事なのだ。
(聞き手=いからしひろき)
▽たかざわ・けんた 1976年、埼玉県春日部市生まれ。詐欺の借金の返済と息子の進学費を稼ぐため40歳で株式投資を始める。独自の理論で開始時の100万円を1年4カ月で1億3000万円に。現在はその成功体験をもとに、一般社団法人「お金の学校」などで投資法を教える。2児の父。