富士フイルムHD<上>デジタル化の荒波を乗り切った開拓魂
この春、「富士ゼロックスから富士フイルムビジネスイノベーションへ」というテレビCMを何度見たことだろう。
ゼロックスは米国企業で、1970年代まで世界のコピー機市場を独占しており、“ゼロックス”はコピー機の代名詞でもあった。そのゼロックスが日本やアジアで事業展開するにあたり、パートナーに選んだのが富士写真フイルムだった。
富士写真フイルム、現在の富士フイルムホールディングス(HD)は、旧社名からもわかるように写真フィルムの製造・販売が源流で、日本国内では圧倒的、世界でも米コダックと肩を並べるほどのシェアを誇った。しかし、2000年代に入るとデジタルカメラの普及で写真フィルム市場は事実上消滅。世界の巨人だったコダックは経営破綻した。
それに比べ富士フイルムHDは、デジタル化の荒波を見事に乗り切った。それを可能にしたのが富士ゼロックスがもたらす安定した利益だった。
富士ゼロックスは富士とゼロックスの折半出資で誕生したが、2001年に富士75%、ゼロックス25%となり、富士の子会社となる。これにより富士写真フイルムの売上高は一気に1兆円近く増え、毎年1000億円を超える営業利益をもたらした。これがあったからこそ、コダックの轍を踏まず、現在の富士フイルムHDを支える医療分野などへの積極投資が可能になった。