管理野球とチームプレーを持ち込んだ 監督・川上哲治の「実像」と「功罪」
「打撃の神様」「V9監督」として知られた川上哲治元監督が28日、老衰のため亡くなった。93歳。「弾丸ライナー」「赤バット」の愛称で親しまれ、戦前戦後を通じてバットマンとして活躍。監督に就任すると昭和40年から9年連続日本一の空前絶後の偉業を達成した。プロ野球にチームプレー、管理野球を持ち込み、日本の近代野球の基礎を築いたといわれる。その戦い方は後のチームや監督に大きな影響を与えた。監督・川上の実像は、その功罪は何だったのか。
<「今のプロ野球は川上野球が原点>
「川上監督以前のプロ野球は打つ、投げるという選手個々の力、能力に頼る野球でした。それを川上監督は守備の大事さやチームプレー、フォーメーション、投手の分業とか、今のプロ野球が当たり前のこととしてやっていることを取り入れた。組織として戦う野球、日本の近代野球の基礎を築いたと言っても過言ではありません。とはいっても川上監督の現役時代はそんな野球とは無縁。それで当時(昭和36年)、スポーツ紙の評論で『巨人は打つだけ。守りはできていない』などと鋭く批判していた中日OBの評論家・牧野茂氏をコーチとして招聘(しょうへい)。牧野コーチは大リーグのドジャースに留学。本場のチームプレーを巨人に導入したのです」