闘病生活を経て“鬼門の77歳”を乗り切り、命のありがたみを噛み締めながらサッカー界の今後を考えた
妻の修子に「お父さん(とプライベートでは呼ばれている)、どないやった?」と聞かれた。
「何や、先生は喉頭がんや、言うてはるで」
「へぇ~、そうなんや」 お母さん(妻をこう呼んでいる)は、いたって冷静そのものだった。
決して怖がりのタイプではないが、これまで私が病院にかかって検査結果を聞く段になると「一緒に聞くのも何だか怖いから……お父さんがひとりで聞いてきて」と尻込みすることがあった。
この時は自宅に戻ってがん宣告を伝えても、お母さんは動じなかった。 そもそも声がかすれるだけで痛いもかゆいもなかったし、手術前も手術後も、体の内部が変調をきたしているような違和感はなかった。私自身に悲愴感がなく、そのあたりをお母さんも敏感に感じ取り、平常心を保てたのではないだろうか。
同年の9月半ば過ぎ。70歳と5カ月の時に喉頭がんの治療を開始した。
まずは放射線治療を33回。1回当たりの所要時間は5分ほど。咽喉に放射線をシャシャシャッと当てて終わりや。拍子抜けしてしまった。