闘病生活を経て“鬼門の77歳”を乗り切り、命のありがたみを噛み締めながらサッカー界の今後を考えた
でも最近は、筋肉が落ちてしまってサッカーボールを蹴るのがおっくうになってきた。
釜本らしい「ゴールネットにズバッと突き刺さるシュート」を見せられなくなった今、ボールを蹴ることは封印させてもらい、培ってきた「サッカー経験値」を整理整頓して子供たちに分かりやすい言葉で伝え、それで日本サッカーの発展と底辺拡大に寄与することができれば、これに勝る喜びはないと思っている。
振り返れば、恵まれたサッカー人生だったが、当然、挫折もあった。最年少で代表に選ばれた1964年の東京五輪もそうだった。(つづく)
▽かまもと・くにしげ 1944年4月15日生まれ。京都市出身。京都・山城高から早稲田大。ヤンマーでは監督兼選手も務めた。日本リーグ通算202得点と通算79アシストは歴代1位。国際Aマッチ76試合75得点は男子歴代1位。64年東京五輪出場。68年メキシコ五輪で銅メダル。アジア人初の得点王。第1回日本サッカー殿堂掲額。2014年に旭日中綬章受章。大学、代表の先輩から親しみを込めて「ガマッチョ」という愛称で呼ばれていた。2025年8月10日、永眠。