2215試合連続出場の故・衣笠祥雄さんが37歳にして初めて打率3割超をマークできたワケ
浩二さんは広角打法。キヌさんは「強い打球をレフトに打ちたい」と、若い頃からプルヒッターで、今の柳田悠岐のように、ヘルメットが吹っ飛ぶくらいフルスイングをするのがポリシーだった。
浩二さんは配球のチャート表や投手のクセなどを頭に入れて試合に臨んでいた。それに対し、キヌさんは「来た球を打てばええんや」と感性を大事にした。一言で言えば「天才型」である。
キヌさんは83年に2000安打を達成したものの、それまで一度も打率3割をマークしたことがないという珍しいケースだった。
それが、私が一軍打撃コーチになった84年になると、「バッティングを見つめ直す」と春のキャンプから逆方向へ打ち始めた。当時、連続試合出場記録が続いており、引っ張るだけでは、やがて行き詰まると感じていたのだろう。するとこのシーズン、37歳にして自己最高の打率.329、31本塁打、102打点で、打点王を獲得。リーグ優勝、日本シリーズも制し、MVPに輝いた。後にも先にも3割をマークしたのは、この年だけだった。
ケガに強く、骨折しても出場を志願した。79年に巨人の西本聖から死球を受け、左肩甲骨を骨折。全治2週間と診断されたが、翌日には代打で出場し、江川卓を相手に3球全てフルスイング。その2日後にはフル出場を果たした。トレーナーは「筋肉に張りがあって弾力がある。揉むと手がはじかれる」と証言した。そんな「しなやかで強い筋肉」こそが、キヌさんの武器だった。