甲子園“ラッキーゾーン”誕生秘話 「ファンが湧くのは本塁打」若林忠志は監督就任に条件を付けた
“飛ばないボール”の余波からか、プロ野球のホームラン数が減っている。悲惨な状態なのは、中日。2025年までの直近5年間は69-62-71-68-83本とセ・リーグ最少で、連続Bクラス(22年から3年連続最下位)の最大理由だ。
今季から本拠地バンテリンドームに手を加え、左中間と右中間を116メートルから110メートルに縮めることになった。この話が阪神に飛び火。「ラッキーゾーン再現」の声が出始めている。
佐藤輝明が本塁打王を獲得したものの、実はチーム本塁打数は少ない。22年から84-84-67-93と100本以下で中日と最少争いの状態。ファンからかつてのランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の3連続バックスクリーンに象徴される豪打の要望は強いのだ。残念ながら、実現は無理なようである。球団の反応なし、藤川球児監督も「甲子園は聖地、手を加えるべきではない」と。
その甲子園球場のラッキーゾーンは、いつ、どういう事情で出現したのか。戦後間もない1947(昭和22)年のことである。阪神はプロ野球が復活した46年、藤村富美男監督が率いるチームは不振に終わった。そこで、いち投手だった若林忠志に監督昇格の白羽の矢が立った。若林には44年まで監督兼投手として優勝に導いた実績があった。ハワイ出身のため兵役には取られなかったことから、戦時中は宮城県石巻で水産会社を経営、引退後に備えていたときの再登板要請だった。


















