「舌を抜かれる女たち」メアリー・ビアード著 宮崎真紀訳

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 本書のカバーには、オウィディウスの「変身物語」の挿話を題材としたピカソの絵が飾られている。トラキア王のテレウスが義理の妹のピロメラを犯している場面だ。細い線のみで描かれたエッチングだが、組み敷かれているピロメラがテレウスの胸を押しのけようとする手が印象的だ。ピロメラはテレウスにレイプされたことを公言してやるというが、それを恐れたテレウスは彼女の舌を抜いてしまう。

 シェークスピアの戯曲「タイタス・アンドロニカス」では、ローマの将軍タイタス・アンドロニカスの娘ラヴィニアがゴート族の男に強姦された上、口封じのために舌と両手を切り落とされる。著者いわく、「女たちの口をつぐませることにかけては、西欧文化には何千年もの実績があるのです」。

 著者のビアードはケンブリッジ大学古典教授だが、フェミニストとしてテレビやラジオなどで歯に衣着せぬ言動をとり、「イギリス一有名な古典学者」とも呼ばれている。本書は、2014年と17年に行った講演をコンパクトにまとめたもの。古典学者らしく、ギリシャ・ローマ以来、いかに女たちが議論したり発言したりすることを封じられてきたかを、ホメロスらの古典作品を引きながら例証していく。

 しかし問題なのは、この口封じが21世紀の現代でも続いていることだ。ドイツのメルケル、イギリスのサッチャー、さらにはヒラリー・クリントンまでもがギリシャ神話の女の怪物メドゥーサに擬され、彼女らの顔をメドゥーサの顔に合成された画像が堂々と出回った。これは、本来黙っているはずの女性が権力を持つことに対する男たちの強い揶揄と警戒心なのだろう。著者自身も、テレビの討論会に出席した後、聞くに堪えないような不愉快なツイッター攻撃を受けているし、本書には自らのレイプ体験も語られている。

 しかし、舌を抜かれたピロメラはただ黙っていたのではない。自分が犯されたことをタペストリーに織り込み、見事復讐を果たす。そんな強さが本書には漲(みなぎ)っている。 <狸>

(晶文社 1600円+税)

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