必要のない仕事で忙しい人たち…「偽仕事」はどうして増え続けるのか?
知識労働者――オフィス族の新顔
この数十年を振り返ってみても、さまざまな分野でテクノロジーがどんどん発展して、仕事の効率化が進んでいる。経済学者の代表的存在の1人として知られるジョン・メイナード・ケインズ(1883〜1946年)は今から約100年前に「2030年までに平均労働時間は週におよそ15時間となる」と論文に記していた。
ところが、週15時間しか働かなくてもいい社会にはなっていない。現代人は相変わらず忙しく働いていて労働時間は減っていないどころか、増えているケースすらある。
働かずにはいられない人の心理、そしてそれにつけ込む「偽仕事」がどこにでも介在していることが背景にある。「肉体労働」に対する「知識労働」という観点で歴史を紐解いてみると興味深い事実が浮かび上がってくる。
「偽仕事」を追い出して生産性と充実度が本当に高い働き方を現実世界でやり切る術を提案したデンマークのベストセラーの邦訳版『忙しいのに退化する人たち やってはいけない働き方』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。
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仕事の歴史を振り返ると、くり返し顕著に見られる重要な特徴が浮かび上がる。誰かがプロセスを効率化して時間を節約する方法を編み出すたびに、ほかの誰かがその時間を使う新しい手段を見つけるのだ。
この30年ほど仕事の世界を牛耳ってきた2つの概念ほど、これを如実に示しているものはない。「知識社会」と「知識労働者」だ。よりよい訓練がなされ、さまざまなイノベーションが実現したことで、今でははるかに多くの製品がはるかに少ない人員でつくられている。肉体労働が引き続き必要なら、そのプロセスを開発途上国へ外注すればいい。
20世紀の終わりにかけて、欧米企業は次々と生産を海外へ移転させた。スニーカーとコンピューターゲームはほとんどが中国製だ。今も欧米の最大手企業は、海外でも国内と同じぐらいの数の従業員を抱えていて、海外の従業員数のほうが多いこともしばしばだ。
1959年、影響力ある経営思想家ピーター・ドラッカーが知識労働者という概念を初めて議論の俎上にのせ、当然の疑問への答えとして歓迎された。肉体労働がすべてインドやバングラデシュに外注された今、われわれはいったい何をするのか? その問いに対してドラッカーは、高等教育への投資を主張した。
このうえなくすぐれた頭があれば、手など必要だろうか? まだ中国に奪われていない仕事も、将来はロボットが担うようになる。仕事を守るために、われわれは頭脳に頼らなければならない。
ドラッカーは世界を旅してこのメッセージを広めた。このオーストリア系アメリカ人経営哲学者は、現在、ビジネス界でインスピレーションの源と見なされており、最も頻繁に引用される人物の1人である。現代経営理論の創始者と見なされることも多く、知識労働についての初期の考えは、ほとんど予言的と言ってよかった。
ドラッカーの予言が当たったことはまちがいない。教育部門は大成長を遂げてきた。大学は比較的少数のためのエリート機関だったが、年々ますます多くの若者を呑み込むようになっていった。かつては教育や訓練をほとんど必要としなかった仕事が突如として独立した学問分野になり、学士号や修士号が出されるようになる。
一見したところ、ドラッカーは正しかったようだ。知識労働者はすさまじい勢いで増加の一途をたどり、現代の企業に必要だとビジネス界の権威たちが主張するイノベーションの核を担ってきた。今回もまた労働市場は、こうした賢い人々をすっかり新しいポジションに吸収したわけだ。
だが、やはり何かがおかしかった。大学卒業者やビジネス・スクール修了者のためにつくられた仕事の多くは、結局のところ過去に特別な学力が必要とされていなかった仕事とほとんど変わらなかった。ドラッカー自身も、それが問題になるかもしれないとわかっていた。1979年には、聡明な人が平凡な仕事に就き、学歴に見合わないと気づくことに懸念を示している。「みんな〝知識人〟であることを期待するが、ただの“スタッフ”であることを知る」
つまり労働市場に知識労働者があふれ、一種のインフレ状態になったわけだ。この現象を研究しているキングス・カレッジ・ロンドンのアリソン・ウルフ教授によると、今は過剰な大学卒業生を吸収するだけのために働き口をつくる危険に陥っている。
これはさらなる教育──これまでになく高い教育──によって生活水準が確保されるという考えの結果だが、「それが事実だという経験的証拠は、実はかなり薄弱である」