村井真由美プロ「何が面白いのか分からずゴルフの道に入りました」

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村井真由美プロ(56歳)

 155センチと小柄で細身ながら、全身をバネのように使ってボールを飛ばし、国内メジャーの日本女子オープンを含むツアー通算8勝を挙げて人気を博した村井真由美プロ。

 18歳で研修生として綾羽株式会社(河本英典社長)に入社し、現在も所属先が運営するジャパンエースゴルフ倶楽部(滋賀)でレッスン活動を展開している。

 現役時代と変わらぬ快活オーラに包まれている。

「綾羽さんには今もお世話になり続け、感謝の言葉しかありません。ここのメンバーでダイキン工業の井上礼之会長にも何かと声を掛けていただき、ありがたいことです」

 綾羽は日本女子オープン覇者の村井(1999年大会)と島袋美幸(61=2001年大会)の2人をサポートし続けている。

 プロスポーツ選手の宿命なのか、40代後半になってケガに悩まされた。

「8、9年前に股関節が痛くなり始め、レントゲン検査などの診断も医者によって見解が分かれ、完治できずにいました。その後、仲の良い藤原利絵プロ(58)に名古屋市にある股関節専門のマッサージ医院を紹介され、月1度のペースで通い出してから症状が改善されてきました」

 体の調子が戻り始めて、今は週に1度のペースでレッスンラウンドを行っている。

「お客さんには『技はたまに見せますが、口の方(説明)でお願いします』とあらかじめお断りします。久しぶりに練習場で打ち込みをしたら、今度は両手の親指が痛くなる。体のあちこちが痛いから、痛い時にどうしたらうまく打てるかを研究しながらやっています」

 指に痛みを感じた時は、勝みなみや時松隆光が採用するテンフィンガー(ベースボール)グリップも試している。

「左親指を完璧に右手の中に包み込むと、親指が痛むので、包まずに握る、本当の“野球打ち”にしています。少し不安定ながらラウンドしてみたら、うまくショットができるようになりました」

 村井プロはソフトボールからプロゴルファーへの道を選んだ。

「進学や実業団入りも考えましたが、高校のバスケットボール部の1年先輩が、プロを目指して研修生になったことを思い出して、『私もいくわ』と後を追うようにゴルフの道に入りました。安易でしょ?(笑い)。それまでテレビで見ていたゴルフというスポーツは、何が面白いのか意味が分からなかったですから」

 まったくのビギナーで綾羽に研修生として入社。

「ソフトボールで培った体力面は確かに役立ちましたけど、『止まっているボールを打つんだから簡単やん』と思って、実際にやってみたら、最初はまったく当たりませんでしたね」

 師匠の東村史郎プロ(故人)との出会いが大きかった。

「最初はバットと同じで、ゴルフクラブでもヘッドを振り抜くことを考えていた。ただ、シャフトがしなるということは頭になかったです。師匠から『椅子に座って打て』と言われ、ボールを打ち始めるとなかなか当たらない。『ボールを打つ前にもっと早く手首を返していかないと当たらへんのや』というひとつのコツを教えてもらってから、『なるほどね』とバットとゴルフクラブの違いなどが自分の理屈の中に入ってきました。軽いゴルフクラブではスイング時の軸を大事にして、ヘッドを早めに振り抜いて初めて当たる。そういうコツから教えてもらいました。私の場合はフォームがどうのこうのではなかったですね。あとはインパクトに対して体の力をどうやったら伝えられるか、それを日々練習していました」

緊張するダブルボギーパットを決めて日本女子OP逃げ切り初V

 村井真由美が涙のメジャー優勝を遂げた1999年日本女子オープン。

 開催コースは今年の東京五輪と同じ霞ケ関カンツリー倶楽部(埼玉)だった。

「だいぶコースが改造されていますが、所々で『ああ、これは昔もあったな』とテレビを見ていました。99年はそんなに調子は良くなかったですが、午後スタートの初日にたまたま66(6アンダー)が出せて単独リーダーとなり、急に緊張し始めて、夜はご飯も食べられなくなりました」

 2日目は71で回り通算7アンダーで首位キープ。

 決勝ラウンドに入り緊張度は増すばかりだったが、残り2日間とも72のパープレーで逃げ切った。

 ただし、ドラマは最終日の最終18番パー4に待っていた。

「17番を終わって通算9アンダーまで伸ばすことができ、先に上がった黄玉珍さん(台湾)は通算6アンダーと私が3打リード。最終ホールにきて『勝ったな』と思ってしまったんでしょうね。グリーン形状は(東京五輪18番と)ほぼ同じで、グリーン左からの第3打アプローチを打つ前に、反対側を歩くカメラマンさんたちが初めて気になった。そしてアプローチをミスってボールはカップ右下へ転がり、パーパットは上りフックラインです。これを強く打ち過ぎて1メートル強ほどオーバー。私のパッティングはインパクト時に手先を細工するタイプで、ボギーパットも左を抜けて1メートル強ほど残しました。歩きながらこのホールの打数を数え直したら『これを入れてダブルボギーなら勝てるけど、入らへんかったらプレーオフやぁ』と最後の最後まで緊張しながら必死に入れました。4日間は長くていろいろありました」

 そしてカップイン、ホッとして号泣だ。この優勝には7年越しの思いも込められていた。

 93年大会(愛知・東名古屋CC)にもチャンスがあった。当時28歳の村井は直前の大会に勝って調子を上げていた。

 最終日は村井、木村敏美、岡本綾子の3選手が通算2アンダー首位タイからスタート。最終組を村井と木村、1組前を岡本と1打差4位の塩谷育代がツーサムで回った。

「この時はそんなに緊張していなかったです。ところが朝の大渋滞に巻き込まれて『遅刻による失格』が頭をよぎり、コースにたどり着いてからも少しイライラした精神状態になっていました」

 最終日の本戦ラウンドでは岡本が最終18番のバーディーチャンスを逃すと、最終組の村井もバーディーパットを外して、ともに通算イーブンパーでプレーオフへ突入。1ホール目で岡本が決着をつけ、42歳にして同大会初優勝の涙にくれた。

「負けた後、友人が『岡本さんの涙はあなたが流させたのよ』と慰めてくれました」

 大ギャラリーに囲まれ、勝者と敗者が2人並んでのインタビューシーンが物語っていた。

 村井はこの年の5~7月の1カ月半で3勝を挙げるなど、年間賞金ランキングは3位(1位は平瀬真由美)と大活躍した。

「元気でしたもの。さすがにシーズン後半は疲れが出ましたが、師匠(東村史郎プロ=故人)には『今年はチャンスやぞ』とか言われ、『(試合を)休めへんやん』と頑張りました」

L・デービースとの一騎打ちは1打差、身長差23センチ

 村井真由美のツアー初優勝はルーキーイヤー翌年の1990年11月の「大王製紙エリエール女子オープン」だ。小林浩美、岡本綾子と最終日最終組で回り、勝利をもぎ取った。

「プロ同期(59期生)の柴田規久子さんが9月に初優勝し、10月には西田智慧子さんが2週連続優勝。同期の仲間から『今週はあなたの番よ』とか言われ、11月に優勝することができました」

 94年11月の伊藤園レディスでは、ローラ・デービース(英国)と優勝争いの末の2位。ストローク差は、わずか1打、身長差は23センチだった。

「あれも頑張りましたね。一緒に回った時は、『力を入れたらダメ』と自分に言い聞かせていました。ローラさんの2Iが私のドライバー飛距離と同じでした」

 レギュラーツアーでの優勝はすべてパーシモンドライバーを手にしていた。99年日本女子オープンは「パーシモンによる最後の優勝者」のサブタイトルもついた。

「当時のエースドライバーは家宝として大事にしています」

 村井は肥後かおり、前田すず子(現・真希)、松沢知加子らともプロ同期生で年齢も近く、今でいう“〇〇世代”同士だが、各選手の全盛期は20代後半になってからだった。

「当時のプロは、今みたいに小さい頃からゴルフをしていた選手は少なかったですね」

 当時のクラブはシャフトが重くて硬く、155センチと小柄な村井プロにとってスイングするのも大変だった。

「意識的にボールを曲げて打っていました。師匠(東村史郎プロ=故人)からは『道中(空中)はええ。落下地点がよければそれでええ』と教えられ、それを試してみて、たとえ失敗しても後悔はなかったし、楽しかったです」

 今の女子プロゴルフには隔世の感があるという。

「レベルの高いところで争っているので、すごいなと思いますね。私なんかは7連続バーディーの時、自分で入ることにビックリしていました。今の子は『入って当たり前や』みたいな感じですからね。飛距離もどんどん伸びているし、レベルアップはしている。それと、道具が軽量化されてきた分、余計に体幹がしっかりしないとダメやなと感じます。体幹の強さによって技術的なものもアップしていると思います」

 一方で、気になる点は?

「たまにうちのコース(ジャパンエースゴルフ倶楽部)に女子プロの方が来て、古い人はキャディーマスター室やカート係の人にあいさつしてからコースに出ますが、若い子の中には素通りしていくプロがいます。昔ほど先輩が後輩に指摘するようなことはないですかね」

 今日まで多くの先輩に恵まれてきたという。

「高須愛子さん、高村博美さん、安井純子さん、城戸富貴さん、塩谷育代さんほか、皆さんには今でも仲良くしてもらっています」

 日本女子オープン覇者が大会前に集う「チャンピオンズディナー」も楽しみの一つ。

「久しぶりに先輩の皆さんに会えるのがうれしいですね。何年か前のディナー会で、岡本さん、樋口さん、涂阿玉さんのラウンドの話が出た時、『それだったら私がキャディーします!』と立候補したら、岡本さんが『練習していないから……』などと盛り上がったこともいい思い出です」

(構成=三上元泰/フリーライター)

▽村井真由美(むらい・まゆみ) 1965年2月21日生まれ、滋賀県栗東市出身。京都・明徳商高ソフトボール部では1番・二塁手としてインターハイ3位。卒業後にジャパンエースゴルフ倶楽部の研修生となり東村史郎プロに師事。89年プロテスト合格(59期生)。翌90年大王製紙エリエールでツアー初優勝、以降99年の日本女子オープン制覇までツアー通算8勝。綾羽㈱所属。

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