森保Jの絶対的守護神・権田修一“強靱メンタル”の原風景 「プロGK育成の名人」に聞いた

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オーストリア3部チーム移籍の真相

 ──その後、16年に当時オーストリアリーグ3部だったSVホルンへ移籍。何か相談はされた?

「特に相談を受けたわけではないですが、『とにかく海外で勝負したい』と言ってました。僕から『3部リーグだけど、どうなんだ?』という話をしたら『キーパーのレベルがすごく高い。だから勝負したい』と。オーストリアでの挑戦があったから、その後ポルトガル1部(ポルティモネンセSC)に移籍しても試合に出られたんじゃないでしょうか」

 ──オーストリアはどんなサッカーをやる?

「僕は高いボールに対しては、どんどん前に出なさいと教えていましたが、オーストリアでは飛び出さなくていいみたいです。ハイボールは190センチ級の長身のディフェンダーに任せて、飛んできたシュートを確実に処理しろと言われるそうです。日本よりディフェンダーが大柄なので、GKは無理をしないで、シュートのセーブに集中しろってことです」

 ──18年7月に森保一氏が日本代表の監督に就任して正GKに抜擢されるようになった。

「権田のゴールを守る技術が高いからでしょう。14年のW杯の頃は経験と心の持ち方が3番手だった。今は心・技・体が追い付いてきた。6月の国際親善試合のブラジル戦ではPKでの失点のみで0-1。権田は好守を見せていたし、今はみんなが納得する正GKになったんじゃないでしょうか」

 ──11月のW杯はドイツとスペインが同居する死の組に入った。自陣に攻め込まれる時間が長くなれば、その分GKがスポットライトを浴びる契機になるかもしれない。

「とにかく冷静に、いつも通り、今まで積み上げてきたものを出してくれればいい。W杯で番狂わせを演出して、日本でのGKの地位を上げて欲しいですね」

(聞き手=増田和史/日刊ゲンダイ

権田修一(ごんだ・しゅういち) 1989年3月3日生まれ、東京都世田谷区出身。187センチ、84キロ。FC東京の育成組織を経て2005年トップチームに昇格。SVホルン、鳥栖、ポルティモネンセSCを経て、20年清水に移籍。U-15年代から各年代別の日本代表に選ばれ、12年にはU-23日本代表としてロンドン五輪に出場。10年A代表デビュー。14年ブラジルW杯メンバー入り。カタールW杯アジア最終予選では正GKを務めた。

浅野寛文(あさの・ひろふみ) 1968年10月5日生まれ、千葉県市川市出身。東京ガスなどでプレーし、99年から2010年までFC東京育成部。世代別日本代表のGKコーチやナショナルトレセンのコーチを務め、12年から中央学院高のコーチ。引退選手や元プロ選手も含めた教え子に、阿部伸行(いわて)、廣永遼太郎(神戸)らがいる。

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